子育て態勢に入るには、職業上のある段階までのステップを踏んでおく必要がありました。具体的には、博士論文を書いて学位を取り、単著の学術書を出版し、定年までの在職権がある職に就くことです。これはけっこう高いハードルで、私は運よくそれを30代前半にクリアしたのですが、その途端に、私の母親が余命1年ということになり、少しあたふたしながら結婚をしました。
本当は母親に初孫を抱かせてあげたかったのですが、私の1年間のハーバードでの研修が決まっていたので、パートナーと一緒に行くには彼女が育休を使う以外なく、タイミングを遅らせるしかありませんでした。
逆に言うと、これ以上ないというタイミングで娘が産まれることになり、パートナーが産休に入ると同時に渡米してアメリカで出産をし、育児休業の終了と同時に日本に戻りました。これを私は「育児休業の戦略的活用」と呼んでいます。
育児で男にできないことなど、何ひとつない
そして満1歳の子どもとともに日本に戻り、保育所送迎の日々が始まりました。帰国後のアパートも、満員電車に乗らずに保育園に行けるところというのを最優先して決めました。「マイカー通勤」なのですが、車ではなく自転車。後ろにチャイルドシートの付いたマウンテンバイクという奇妙な外見だったため、10年間、鍵をかけなくても盗まれることはありませんでした。
私はもともと夜型で、夜中になってから馬力がかかるタイプだったのですが、保育園の送りに合わせると早めに寝なければならず、でも夕食の支度や片付けが終わると9時過ぎで、すっかり疲れて仕事にならず……。あきらかに論文の本数が落ちていきました。
それでも、専門がジェンダーなのに「子育ては妻に任せてました」なんて、冗談にしかなりません。自分のゴミは分別しない環境問題の専門家みたいなものでしょう。
パートナーは普通の会社員ですが、私のアウトプットを最大化するのではなく、2人のアウトプットを最大にするということを考えたので、会社員に比べれば時間がいくらか自由になる私に、それなりの育児の負担が来ることは当然だと考えていました。
成果だと思うのは「育児で男にできないことなど、何ひとつない」と、自信を持って言うことができるようになった点です。出産は生物学的性差で女性にしかできなくても、育児は社会的性差(ジェンダー)に属するものであって、男性にも充分できます。
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