「麻酔科医が産科医療チームに加われば、そのチームはグッと危機に強くなる。いつしか日本でも、こんな体制をつくれたら」。照井さんは3年間の研修ののち、産科麻酔の普及という夢を持って日本へ帰ってきた。
ほどなくして、「新しい総合周産期母子医療センターで妊婦、胎児、新生児専門の麻酔部門を立ち上げてほしい」という話が舞い込み、現職に着任。照井さんは、ここで、20年間にわたり、全国から集まってくる医師たちに最新の産科麻酔学を伝えてきた。
照井さんは硬膜外麻酔による「無痛分娩」も重要視してきた。アメリカは硬膜外無痛分娩の希望者が多いので、その麻酔報酬で産科病棟に常駐する麻酔科医たちの給与が賄えていたからだ。とくに日本は帝王切開の麻酔報酬が安く、専従の麻酔科医を確保するのは、大きな病院でも経営上難しい。
照井さんは「日本でも無痛分娩を一定数増やして、麻酔科医が産科病棟に常駐する体制を広めたい」と考えた。ただし、硬膜外麻酔を行えば胎児への血流減少につながりうる母体の血圧低下や、陣痛が弱まるケースは珍しくない。それらは早期に対処して分娩への影響を最小限に抑えなければならない。死亡につながりうる副作用については、防止策を徹底することが不可欠だ。安全性が肝心だと思った照井さんは、まず、『硬膜外無痛分娩 安全に行うために』という医師向けの本を書いた。
無痛分娩を行う医師なら知らない人はいないこの本を開くと、何度も繰り返されている言葉がある。それは「少量分割注入」という6文字である。麻酔薬は、決して、一度に全量を入れてはいけないという意味だ。
「手の感覚に頼るのみ」
照井さんは、模型を用いて麻酔の針が入るべき正しい場所を教えてくれた。
「正しい位置に針が入ったかどうかは、目で確認できません。手の感覚に頼るのみです」
照井さんの説明によると、麻酔科医は、まず皮膚の上から背骨を触って針が入る隙間を見つける。そこから入った針は皮膚、皮下組織を通り、次に背骨と背骨をつなぐ靭帯を3種類通過するが、そこで、針を持つ指に感じていた抵抗感がふっと抜ける。
そこが、目指す「硬膜外腔」だ。正しい硬膜外麻酔無痛分娩は、その真ん前にある硬膜を突くことなく、その一歩手前の空間に麻酔薬を注入し、そこを通っている神経に作用して信号を遮断する。
「この硬膜外腔は本当に狭い空間で奥行きは1センチもないんです。皮膚から硬膜外腔までの深さも人さまざまで、一般的には4~5センチですが私たちの経験では2センチ少々の人から7センチくらいあった人までいました」
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