ですから、どんなバカげたことでも、もしそれに真に情熱を注げるなら、そして、それがきわめて反社会的ではないならば(という条件をやはりつけましょう)、それに邁進すべきだと思います。相談者は年齢不明ということですが、50歳になっているとは思えず、やはり若い人でしょう。それならますます、そう言いたくなる。私の経験では、後から考えて「こうしないほうがよかった」と後悔するより、「ああしたほうがよかった」と後悔するほうがはるかに多い。
そこで、今回のご相談について、まず功利的に考えてみますと、Aの選択は、彼女に会いたいのに、そうしないでおくことであり、Bの選択は彼女に会うことです。Aの場合、いつまでもぐずぐず気持ちが引きずられることはあるでしょうが、「今」の状態が続くだけであり、通例ではそれもしだいに希薄になってくる。そして、Bの場合は、「すばらしい出会い」かもしれず、まったくの幻滅かもしれない(これは、相手に幻滅することと相手があなたに幻滅すること、あるいは両方がある)。
こう比べてみると、Bの場合のほうがはるかに危険であり、「今の状態」より悪くなる可能性は高く、まあ私の長い人生経験からして「すばらしい出会い」になる可能性は少ない。そして、だからこそ、あなたはBを選ぶべきだと思います。最悪の事態になっても、「勇気をもって選択したこと」は、あなたの心に残るでしょう。そして、そのことがあなたの人生を豊かにしてくれるでしょう。これに反して、もしあなたがAを選ぶなら、今後の人生、いつもいざとなると「安全策」を狙うことになるでしょう。あなたの人生は落ち度がなく、安全で人聞きのいいものかもしれませんが、まったく「面白味のないもの」となり果てるでしょう。
相手のすべてを知り尽くしたら、恋愛できなくなる
考えてみると、どこまでも慎重に、相手のことを研究し尽くして恋愛する人はいません。いかに直接の出会いであったとしても、誤解だらけであるのが普通であり、だからこそ人は恋愛などにウツツを抜かすことができるのです。もし、相手のすべてを知り尽くしたら、誰も恋愛などできなくなるかもしれない。このことは結婚に関しても同様で、人は軽率に結婚するべきではないとも言えますが、完全に慎重に結婚しようとしたら、誰も結婚などという「大それたこと」に挑むことはないかもしれない。しょせん、「正しい」恋愛とか結婚などはないのです。
このことは、恋愛に限りません。他人はもともと(他人なのですから)わかるわけはないのです。今回のご相談に即しても、顔や容姿がまあまあ趣味にかなっているとしても、話していくうちに、しだいに距離感を覚えるようになるかもしれない。徐々にじわじわと幻滅に向かうかもしれない。「声」だけのときのほうが、「近い」感じであったのに、実際に会ったら、「遠く」なってしまうかもしれない。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら