「死」に比べれば、この世に大した不幸はない 哲学人生は意外と幸福だったかも?

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獣や魚がどうなのかは知らない。だが古今東西、老若男女、人が悩み、迷うのは確か。“戦う哲学者”中島義道氏が開く人生相談道場に“同情”はない。ここにあるのは、感受性においてつねにマイノリティに属してきた中島氏が、壮絶な人生経験を通じて得た、ごまかしも容赦もない「ほんとうのこと」のみ。“みんな”の生きている無難な世界とは違う哲学の世界からの助言に、開眼するも、絶望するも、あなた次第である。

※中島義道氏への人生相談はこちらから

【vol. 12】 

 普段は2人でつつましいながらも仲良く暮らしています。
 ですが、休日、買い物に出掛けた際に、小さな子供を連れた家族連れを見かけると、彼らに対して、ふとあこがれを感じ、自分は決してそのような体験をすることができないのだ、という絶望感を感じます。
 また、自分が年老いたときには、誰も身内がおらず、ひとり、誰にも見守られず孤独に苦しみながら死んでいくのか、と考えると今からとても怖いです。
 私は、これからもこうした絶望や恐怖を抱えながら、生きていかざるをえないのでしょうか?
(男性 会社員)

今回も、正直、困りました。相談者の相談意図がまるでわらないからです。欄外に「1972年生まれ、中小企業のサラリーマン」とありますから、40代前半の男性であることはわかります。そして、「普段は2人でつつましいながらも仲良く暮らしています」とありますから、常識(?)に従って結婚しているとみなします。

そのうえでご相談の文面を読んでみても、やはりわざわざ私に相談することの意味がよくわからない。いろいろ陰鬱な気分は書いてますが、具体的悩みは「結婚しても子供がいない」ということに収斂されてしまい、こんな人は、わが国に何百万人もいるだろうし、としても直ちには「誰にも見守られず孤独に苦しみながら死んでいく」とはつながらない。そういう人でも、兄弟姉妹の子供がいるかもしれないし、友達がいるかもしれないし、気の合った後輩がいるかもしれない。

そのすべてがいないとしても、配偶者がいるはずで、その人が先に死んだら、まさに「誰にも見守られずに」となるわけですが、自分が先に死ぬかもしれない……。というわけで、ここまで頑張って耐えてきましたが、やはり無性にイライラしてきました。空っぽの相談に向かって「答えて」いてもむなしいだけです。

空っぽの相談に「答える」のはやめます

そこで、今回は今までとはまったく異なった答え方をしようと思います。すなわち、自分のことばかり語ろうと思います。

今回のご相談を受けて最初の違和感は、子連れの家族を見ると「あこがれを感じ」と言いながら、その1行後には「誰にも見守られず孤独に苦しみながら死んでいく」とつながっていく点です。あたかも、子供を持つことは死に際に見守られたいだけであるかのよう、少なくともそれが大事なことであるかのようです。つまり、すべてが「自分のため」であるかのようです。

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