「死」に比べれば、この世に大した不幸はない 哲学人生は意外と幸福だったかも?

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人は損得勘定で子供を作るのではない

よく、「子供がいないと、老後、寂しいから、子供を持ったほうがいいよ」と忠言する親や先輩がいますが、これほどの間違いはない。「そうだな」と同調しているうちは、子供を持たないほうがいいでしょう。というのは、子供を持っている多くの方は知っていると思いますが、普通の損得勘定でいけば、子供を持つより割の悪いことはないからです。カネはかかるし、どんなに一生懸命に育てても、ほとんど何も感謝されないどころか、下手をすると、一生恨まれ、憎まれ、呪われ続ける。そして、子供が犯罪に走ったりすると、すぐに親の責任を問われる。いいえ、以上すべてを合わせたより「割の合わない」のは、もし子供がいじめられたり、その結果、自殺したり、そうでなくても病気や事故で死ぬことになったら、もう天地が崩れるほどの衝撃を受け、それ以上、生きることができないほど絶望するからです。

その点、子供を持っていない人は楽でいいですね。しかし、私が本当に言いたいのは、ほとんどの人は損得勘定で子供をつくるのではないということ。子供をつくることをもって、人は損得勘定を超えたところに至るということです。そして、たまたま(本当にたまたまです)、子供がどうにか幸せに暮らしていれば、「それでいい」というのが、「それ以上何も望まない」というのが、そして「自分に何もしてくれなくてもいい」というのが、大部分の人の親心ではないでしょうか。いや、基準はもっと下がって、どんなに不幸でも、どんなに社会からつまはじきにされていても、「とにかく生きていてくれればいい」というのが親心かもしれません。こうして、ダメな子を持てば持つほど、人は鍛えられ、高みに至るのかもしれません。

さて、次の違和感は、「誰にも見守られずに孤独に苦しみながら死んでいく」という人生観ですが、それが嫌なら、ひたすら孤独に陥らないように努力するほかないでしょう。私が『孤独について』で書いたことは、(中島が何で「孤独」なんだ、とずいぶん誤解されているようですが)、「私は孤独であることを恐ろしいと感じないほど孤独な人間なのだ」ということを伝えたかったのです。私が少年の頃から抱いているのは、私が死ぬかぎり私は不幸であり、この公式を覆い隠すものはすべてうそであるという信念であり、よって一瞬もこのうそにだまされまいと決意して生きてきました。

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