「戦国武将」が実践していた知られざる健康法 武将たちも「酒の害」には悩まされていた
戦国武将は長生きだった
応仁の乱以降、将軍の権威は失われ、世は乱れに乱れます。そうでなくても、平安時代中期から室町時代にかけて、日本はさまざまな災厄にみまわれました。地震、土砂崩れ、巨大台風、噴火などの自然災害が何度も発生し、そこに大飢饉(ききん)と疫病が追い打ちをかけました。
室町時代には鎌倉だけで2万人が餓死する飢饉があり、その少し後には京で8万2000人が亡くなる大飢饉が起きています。「飢え死にしなかった者も病で死んでいく」といわれるほど、悲惨な事態が全国で相次ぎました。
平成、令和などの元号は、明治以降は天皇1代につき1つと定められていますが、それ以前は、喜ばしいできごとや、逆に大きな災いが起きたときに、人心を改め、政治を仕切りなおすためとして改元することがありました。平安時代から室町時代までの時期には、疫病、天災、戦乱、飢饉をしずめるための改元が繰り返し行われています。
戦国時代の定義はいくつかあるものの、1467年に始まった応仁の乱から1568年の織田信長の上洛まで、おおむね室町時代の後半にあたる約100年間の動乱の時代をいいます。社会の秩序が崩壊し、人々が窮状にあえぐなか、全国各地にあらわれたのが、武力、知力にすぐれ、人間的な魅力にあふれる武将たちでした。
大名の跡取りとして大切に育てられた者もあれば、貧しい農民の子として幼いころから苦労を重ねた者もありましたが、いずれも次第に頭角をあらわして、領地を治め、力をたくわえ、激突を繰り返すようになりました。
戦国武将にもう1つ共通していたのが、長生きする人が多かったことです。
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