「戦国武将」が実践していた知られざる健康法 武将たちも「酒の害」には悩まされていた

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「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」

これは織田信長が好んで舞った『敦盛』の有名な一節です。信長自身が48歳で亡くなったことを踏まえて、「人間五十年」を「当時は平均寿命が50歳くらいだった」と理解している人がときどきいますが、勘違いです。

この「人間五十年」は仏教用語で、「人の世の50年の歳月」という意味です。人間界の50年は天界の一昼夜にあたると考えられていたため、天界とくらべて、この世の50年など、あっという間だ、ということです。

当時の実際の平均寿命は武士が42歳くらい、庶民は30歳くらいでした。現代の感覚だと短く感じられますが、幼いうちに亡くなる子どもが多かったことで全体の平均寿命が下がっていました。武士のほうが庶民より平均寿命が長いのは、栄養や医療の面でめぐまれていたために、子どもが亡くなりにくかったからかもしれません。

著名な武将はとくに長生きでした。満年齢でいうと真田信之が92歳、北条早雲が87歳、島津義弘83歳、尼子経久83歳、毛利元就74歳、徳川家康73歳にはじまり、伊達政宗、豊臣秀吉、柴田勝家、前田利家も60代まで生きています。

織田信長の弟である織田有楽斎も75歳で亡くなっているため、本能寺の変がなければ信長も長生きしていた可能性があります。そうなったら、のちの日本はどんな社会になっていたでしょうか。

心と体が強くなければ勝ち続けることはできませんから、これらの武将はもともと健康に生まれついていたと思われます。しかし、それだけでは足りません。天下を平定し、新しい秩序を作るには、20年、30年という歳月がかかります。そのためには、養生して長生きする必要がありました。

戦国武将に人気の医者-曲直瀬道三

この時代は医学の発展があまりみられなかったとされています。戦で負ったケガの治療も、血止めにドクダミ、梅干し、松茸などを使う素朴なものでした。

そんななか、僧から医師に転身した曲直瀬道三(まなせ どうさん)は歴史、儒学、大陸の伝統医学、西洋の南蛮医学を学びながらも、これにとらわれず、日本人に有効な、日本人が健康で長生きするための医学の確立に力をそそぎました。

道三はきわめて聡明だったと伝えられていますが、気取らず、親しみやすい人柄で、86歳で生涯を閉じるまで、おもに武士に向けて多数の養生書をあらわしました。

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