西河は、当日の長坂姉妹との練習をこう振り返った。
「姉妹のお2人にも呼吸合わせを体験していただいて、これで穏やかな看取りができる環境が整ったなと確信しました」
母親から引き出された感情
人一倍元気でしっかり者だった母親が、最後は自分に甘えてくれるのか。もしもそうなったら、自分が母親をきちんと支えられるのか――。長坂にとって最大の不安は、最後の1カ月で順を追って和らいでいく。
母親を介護ベッドから起こす際、長坂が母親を抱き起こしていた。だが、長坂はある時ふと母親が全身をぷるぷると震わせながら、渾身の力で自分にしがみついていることに気づいた。母娘の立場がすっかり逆転していた。
その瞬間、長坂は「自分が母親を抱いている」のではなく、「私が母親に抱きしめられている」と直感し、心が激しく揺さぶられた。物心ついてから、母親にそれほど強く抱きしめられたことがなかったからだ。
「あの、しっかり者の母が今、私にすべてを委ねてくれている。そのことに気づいたら切ない反面、無性にうれしかったですね」
さらにポータブルトイレで用を足すのも難しくなり、介護パンツに一本化したときには、再び予想外の発見があった。
「母のうんこも、『あっ、やられたぁ〜』ではなく、『この世話も私にやらせてくれるんだ!』って、素直に、歓びをもって受け止められました。そんな自分にまずびっくりして、感動しました。やはり妹も同じように、『(母が)私たちにやらせてくれたんだね』と感じていたんですよ」
あの母親がエゴも羞恥心も全部捨てて、赤ん坊に還ったような姿でそこにいて、彼女と向き合うことで、ストローでちゅーっと吸引するみたいに、私の内側から引っ張り出された感情でした、長坂はそう強調した。
一呼吸置いて、今度は一転して穏やか口調で彼女はこう結んだ。
「人がエゴやプライドを失っていくことは美しいからです。私の慈愛の感情は、そんな母を受け止めることで生まれたんです。家族で看取る醍醐味は、それを手と体を使って体感できること。逆に親から見れば、家族に『迷惑をかける』ことにより、『与えられるものもある』ということです。この体験を、皆さんとも分かち合えたらと思うんです」
母親が急逝した夜、長坂宅に駆けつけた看取り士の西河も、彼女の「人がエゴやプライドを失っていくことは美しい」という言葉遣いがいちばん心に残ったと、ほほ笑みながら言った。
「私も初めてうかがった表現でした。お看取りをお手伝いする中で、私たちも依頼者の方々から毎回そうやって教えていただくんですよ」と。
取材を終え、最寄り駅まで3人で夜道を歩いた。通常は看取りを終えると、依頼者と看取り士は会わない。今回は取材ゆえの特別なケース。長坂と西河は、知らない人が見たら親友か幼なじみかと思うほど楽しげに、肩を寄せておしゃべりを続けていた。
(=文中敬称略=)
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