日本の戦後にも、強い企業があった

留学中には、マクロ経済・国際金融・産業政策などの授業、途上国出身の学生や開発分野で働いてきたクラスメートたちとの議論を通じて、「途上国で競争力のある産業の育成・支援に、人生を懸けたい」という思いを強くしました。貧しい国が豊かになるには、そこに強い企業が生まれなければなりません。
日本の歴史を振り返っても、そこには強い企業がありました。戦後の焼け跡からソニーやホンダのような企業が数多く生まれ、いい商品を作っておカネを稼ぎ、雇用を生み出したわけです。また、儲けの一部を税金として政府に払い、その税金が、教育や医療といった人間開発の分野に使われたのだと思います。もちろん、ビジネスだけが大事なわけではありませんが、強いビジネスを生み出すことは、貧困削減の第一歩。そう僕は考えるようになったのです。
産業育成の分野の中でも、元証券マンとしての強みを生かしてかかわれる分野は、途上国の企業に対してビジネス強化や事業拡大のための資金調達のお手伝いをする仕事ではないか。そういった思いで、ハーバード卒業後に、世界銀行に入行し、すぐにアフリカに赴任しました。
最初の赴任先は、西アフリカのセネガルという国。セネガルは、サハラ砂漠が大西洋にぶつかる西アフリカの端の国で、首都はダカール。サハラ砂漠を縦断する自動車レース「パリ・ダカールラリー」の終着点、と申し上げればピンとくる方もいらっしゃるでしょうか。セネガルでの任務は、アフリカの農業や食品分野の民間企業への投資を行うことでした。
セネガルに来てすぐ、お隣のマリという国の融資プロジェクトが舞い込んできて、「すぐマリに飛んで、この会社をみてきてくれ」と言われました。マリは、西アフリカで最も貧しい国のひとつ。そんなところに、どんな会社があるのだろう、と興味津々でした。
ところが、このプロジェクトで、自分がゴールドマン・サックスとハーバードで積み上げてきた仕事のやり方を根底からくつがえされる出来事が待っていました。次回は、そのお話をしたいと思います。
※本稿は執筆者個人の意見であり、世界銀行グループの公式見解を示すものではありません。
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