僕がアフリカでの商売にハマる理由 外資系金融、ハーバードを経て、なぜアフリカへ?

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入社後5年間働いたのは、企業の合併・買収や資金調達のアドバイスをする部署でした。1日の睡眠時間が3~4時間くらいで、週末もずっと会社にこもる厳しい生活。

何千億円という取引額は、大学を卒業したばかりの僕には途方もなく思え、その金額ゆえに、クライアント企業にとっては会社の命運を決める一大事。なので、絶対に失敗は許されません。

でも、プロジェクトが成功すると、自分の親くらいの年齢のクライアントの重役から、「君の頑張りのおかげでうまくいったよ、ありがとう!」と声をかけていただき、その瞬間がクセになるくらいうれしくて、5年間、全力疾走で働きました。そうした日々の出会いを通じて、金融のなんたるかも、いくばくかは理解できるようになったように思います。

ハーバード留学でまさかの改名

毎日が高校の文化祭前夜のように、寝不足ながら楽しかったゴールドマン・サックスでしたが、その後に退職。大学時代、インドネシアで見定めた夢に近づくため、次に僕が向かったのは、ハーバード・ビジネス・スクールでした。開発業界への転職には必須ともいえる修士号を取るためです。

福井県の田舎出身で、帰国子女でもなかった自分にとって、留学当初はカルチャーショックに打ちのめされました。ここでは、1年目で成績が悪いと、放校になってしまう、というルールがありました。自分の教室にいる90人のうち1人は、2年生になれない。

「90人のうち1人なら、大した確率じゃないじゃん」。そう思う方もいらっしゃるでしょう。ところが、成績の50%以上は、授業中のディスカッションで、どれだけ発言し、その発言が議論にどれだけ貢献するものだったか、というモノサシで決まるのです。

もともと外向的な性格でもないし、外資系で働いていたとはいえ、英語が流暢にしゃべれない自分にとっては、「自分が落第する90人の1人になるかもしれない」と本気で思いました。ですから、必死で予習をし、授業中、手を挙げ続けました。挙句には、「ヨースケ」というアメリカ人には発音しにくい名前では教授に当ててもらいにくいと考え、名前を「YO」に変えるなど、今なら笑い話になりそうな涙ぐましい努力をしたものです。

でも、海外のビジネスの場面では、話して説得できなければ、人が動いてくれないのも事実。この経験で、大勢の外国人の前で自分の意見を述べるということには、抵抗がなくなりました。

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