ベースアップが正当化される場合
私は大きく基本給の決まり方には、2つあると思っています。ひとつはその仕事の重さに値段がつく場合、もうひとつが個人の能力に値段がつく場合です。
前者は仕事の難度が高かったり複雑だったり、より責任が重かったりすることを意味します。要するに難しくて責任が重い仕事は、より基本給が高くなります。直感的にもピンときます。後者の個人の能力に値段がつくというのはもっと直感的な話で、要するにデキる人は基本給が高いという話です。
だとすると基本給が上がることは、仕事がより重要になることか、個人の能力が上がるかのどちらかです。基本的にこれら以外にはありえません。身近な昇給パターンはこの2つの理由に帰着します。
たとえば年功序列で基本給が上がっていくのは、職場で職業経験・訓練を通じて能力が上がるとみなされるからです。よい評価をとって昇給するのは、その人の能力が上がることと同じ意味だからです。あるいは昇格すれば、役職が重くなり責任が増すので、(その人自身の能力が上がってなかったとしても)座った椅子の重みの分だけ基本給が上がるわけです。これらはすべて論理的に正当化されます。
それではこれら以外で基本給が上がることがあるのか? それがベースアップです。個人の成長や仕事の重さとは無関係に、賃金体系そのものが底上げされることをベースアップといいます。
そしてそのベースアップを正当化するには、大きく2つの理由があります。ひとつは貨幣価値の変化(代表的にはインフレ)に合わせて給与テーブルそのものを調整すること、もうひとつは企業全体の生産性が向上するような非連続な「何か」が起こるということです。
たとえば後者。もし企業業績が飛躍的に上がった会社が、その原因を突き詰めた結果、明らかに生産性が上がって企業全体があたかも生まれ変わったごとく継続成長が望めるのであれば、ベースアップはぜひやるべきだと思います。ただそういうケースがどれだけあるかというと、私にはよくわかりません。実のところほとんどないのではないかと思います。ちなみに円安や需要喚起や特定製品のヒットなどで享受した好業績は、企業の内部生産性とは異なります。大抵は外部環境要因か、あるいは再現性に不安のある因果関係によるものではないでしょうか。これらで好業績な企業が基本給を上げるべきかというと、少し違うのではないかと思います。
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