香港のデモ参加者は単なる「暴徒」ではない 米中を巻き添えにする「絶望の戦術」とは

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政府の対応方針は一貫して、暴力行為に罰を与え、一般市民をデモから遠ざけることだが、暴力的なデモをさらに強力な警察力で鎮圧し、平和なデモを無視する現在の対応策は、両者を離間させるよりもむしろ団結させている。政府の支持率は大規模デモの開始以降も下がり続けている。

9月に入ると、ネット上で「香港の革命歌」が作られ、各地に集まってこれを歌う集会が多くの人を集めている。政府はすでに「香港人」という巨大な「仲間」を敵に回してしまったのである。

そうはいっても、デモを永久に続けることはできない。とくに日本人にとって衝撃的に映るのは鉄道駅の破壊行為であろう。香港の地下鉄や通勤電車を独占する香港鉄路(港鉄)は、デモ参加者を輸送する役割を担っていることを、中国の「人民日報」から「暴徒専用列車」と非難された。

現在売り上げの半分近くを大陸での鉄道事業などで得る港鉄は、それ以来デモ予定場所の最寄り駅を通過させるなどの措置をとるようになった。車内や駅構内での衝突も多く、警察の暴力的鎮圧を容認したなどの疑惑が次々と生じた港鉄は、共産党の「党鉄」と揶揄されて攻撃対象となっている。しかし、多くの市民に影響を与える行為には当然リスクも伴う。

経済の影響も、短期であればともかく、長く続けば不満を持つ者も増えるであろう。

しかし、このデモの本質的問題は、「もはや、やめられなくなってしまっている」ことである。デモ参加者は「5つの要求」すべてを求めると言っている。実現困難な要求を政府にのませるには、行動をエスカレートさせ、強い圧力を政府に与えるしかない。

しかし、それはより多くの暴力行為・非合法行為を意味する。とくに「前線」は、確実に多くの「暴動罪」をすでに犯している。現在は覆面して逃げ回っている彼らも、事態が鎮静化したときには、大規模な捜索・逮捕が行われるのは間違いないと悟っている。

現に、「雨傘運動」後には若者が次々と断罪された。若者のカリスマであり、2016年の九龍半島・旺角での騒乱で「暴動罪」に問われた梁天琦には、昨年、懲役6年の刑が下っている。今回は規模から見てこれでは済まないし、中央政府の嫌がる行為を次々と繰り返したデモ参加者、あるいは香港そのものに対して、北京も確実にあの手この手で「制裁」するであろう。

「特赦」の要求が呑まれないまま運動を終えることは、自身または「仲間」への厳罰を受け入れることになる。若者は恐怖に泣き、震えており、市民の多くは「私利のためではなく、香港のために自らを犠牲にした」若者に同情し、支えねばという使命感を持っている。デモの継続は「自衛」のための抵抗となっている。

「死なばもろとも」

絶望の中で、8月頃から、若者の間では「攬炒」という発想が広がっている。ともに焼かれてしまおう、「死なばもろとも」という意味である。9月11日のウォール・ストリート・ジャーナルのある記事は、香港を「中国の銀行が呼吸する肺」と称した。

香港が持つ国際金融センターとしての機能は、北京にとって死活的利益であると考えるデモ参加者は、自身を「人質」にして、香港の社会・経済を破壊することで、香港の親中的な既得層や特権層、そして中央政府もろともに損失を与えることを戦略とする。

8月31日のデモ現場で香港の研究者が行った調査(9月8日「明報」掲載)では、「香港に国際社会の制裁などの極端な事態が生じた場合、中央政府の損失が香港より大きい」と述べた者は87%にまで上っている。破壊行為も、景気後退も、不動産価格の下落も、大陸客の減少も、小売業の不景気も、アジア最悪の経済格差と特権層の政治権力の独占という体制に絶望してきた市民は、むしろ「世直し」として喜んでしまう。

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