日本とアメリカ「シンクタンク」の決定的な違い

数を増やし政治経済への影響力を高めた要因

宮田:アメリカのシンクタンク論は、ブルッキングス研究所やCSIS(戦略国際問題研究所)など、伝統があって党派色の薄い中立的なシンクタンクを軸に展開されるのが一般的ですが、私の場合は少し特殊で、保守派のシンクタンクから入りました。

私が現代アメリカ政治のゼミに入ったのは、クリントン民主党政権下で、共和党のニュート・ギングリッチが下院議長に就任した1990年代半ばでした。ギングリッチは40年ぶりに下院での多数を奪還した1994年の中間選挙で共和党が公約とした「アメリカとの契約」を作成した中心人物で、議長就任後、それに基づいた法案を矢継ぎ早に提出し、クリントン政権と激しく対立します。

船橋洋一(ふなばし よういち)/1944年北京生まれ。東京大学教養学部卒業。1968年朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、2007年~2010年12月朝日新聞社主筆。現在は、現代日本が抱えるさまざまな問題をグローバルな文脈の中で分析し提言を続けるシンクタンクである財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブの理事長。現代史の現場を鳥瞰する視点で描く数々のノンフィクションをものしているジャーナリストでもある。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(2013年 文藝春秋)『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(2006年 朝日新聞社) など(撮影:尾形文繁)

アメリカのジャーナリズムでは、ギングリッチの背後にある勢力についての議論が盛んになり、その中で、シンクタンクの果たした役割が指摘されていました。つまり、ギングリッチの「アメリカの契約」の背後には、シンクタンクというインフラがあるのだということです。

そういった議論に影響を受け、アメリカには、党派に属さず客観的な政策研究を目指すシンクタンクだけではなく、特定の政治運動を推進するシンクタンクという存在があり、むしろ、そちらのほうが多いということに気づき、そこに興味を持ちました。

船橋:私は当時、朝日新聞のアメリカ総局長でワシントンにいましたが、あの頃から、民主党と共和党の対立が激しくなり、党派を超えた対話が難しくなり始めていたことをよく覚えています。お世話になった方で、ケイ・グレアムさんというワシントン・ポスト紙の社主がいらっしゃいました。何度も社交ディナーにお招きいただきましたが、彼女の社交ディナーだけは共和党、民主党の上院議員を3人ずつ招いていました。「もう、この町で、あんなことができるのはケイだけ」と出席者は言っていました。そうした超党派社交は彼女が亡くなってから、もう途絶えたのではないでしょうか。

宮田先生は保守系シンクタンクのヘリテージ財団も深く分析されていますが、レーガン大統領もヘリテージ財団の政策提言を多く採用しています。ですが、今から振り返ると、保守派とリベラル派の対立というのは、さほど激しくはありませんでした。双方にゆとりがあって、対話もしているという感じでしたね。

政治的シンクタンクを後押しした富裕層

宮田:確かにレーガン政権はヘリテージ財団から多くのアイデアを採用しましたが、1980年代当時は保守系のシンクタンクが誕生してまもなく、まだ共和党内で保守派以外の声もそれなりの影響力をもっていました。しかし、その後、保守系のシンクタンクなどが躍進を遂げるにつれ、そのような声は共和党内から失われていきました。

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