20世紀が明けようとするころ、日本は、『代表的日本人』(内村鑑三、1894年)、『武士道』(新渡戸稲造、1900年)、『茶の本』(岡倉天心、1906年)という強烈なメッセージを世界に与えた。
それらは、日本の文化と精神性と価値観の普遍性を英語で世界に知らしめる、世界への日本発のアイデアを伝えようとする試みだった。非西欧社会である日本が西洋社会とも最も深いところで通底する文明社会であることをこれらの著作はうたった。
モノづくりでは、モノに語らせればコトは足りたが
戦後、日本は新たなメッセージを世界に発した。ソニーの創設者、盛田昭夫の『メイド・イン・ジャパン』(1987年)である。日本は、モノづくりで世界に雄飛した。モノづくりでは、モノに語らせればコトは足りた。黙っていても、世界はメイド・イン・ジャパンを評価してくれる。英語で出版した『メイド・イン・ジャパン』は、そのデファクト・スタンダードとなった日本のモノづくりとその生産様式と経営理念を日本発のアイデアとして理念化し、世界のベンチマークにしようとの挑戦だった。
冷戦が終わり、バブルがバーストしてついえ、グローバル化が覆い、英語が世界のデファクト公用語として君臨し、デジタル革命が日本を素通りし、中国がリープフロッグ(蛙飛び)発展で日本を抜き去り、OECD諸国の中で日本の国際競争力は毎年ずり落ち、そして、第4次産業革命が襲ってきた。
その間、日本の生産年齢人口、さらには人口が減少し、大量の非正規労働者を抱えたまま、財政は疲弊し、公的債務は膨れ上がっている。東大や京大をはじめ日本の有力大学の世界ランキングは下降の一途をたどっている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら