一時は、課題先進国というフロンティアを開拓することを日本の使命と役割に据えようという機運もあった。少子高齢化、人口減少、地方消滅、災害・レジリエンス、オウム真理教テロ、環境、福島原発事故、金融危機、デフレ、ゼロ金利など、日本で起こったことは世界の課題を先取りしたものも多く、そこでの日本の経験と教訓が世界に貴重なレファレンスとなるはずだ、という問題意識がそこにはあった。
しかし、そうした問題意識を世界の切実な関心(レレバンス)に突き刺さる形でフレームし、事象を厳密に分析し、そこから普遍的な仮説や理論を示し、それを政策理念・構想として練り上げたかとなると、心もとない。
いや、課題先進国とはその実、解決後進国の別名なのではないか……。
日本の経験と教訓は、なぜ世界と共有できなかったのか
環境に限って見ても、京都議定書(1997年)のときの低炭素社会に向けての日本の取り組みや構想は注目されたが、パリ協定(2015年)のゼロ炭素社会への取り組みにおいては日本のアイデアもリーダーシップも提供できなかった。
そもそもパリ協定の第1回の締約国会合では、協定の批准が間に合わず、日本はオブザーバーとしてしか参加できなかった。ゼロ炭素社会に向けての日本ならではの取り組みもそこでの深い分析と提言をタイミングよく世界に発信し、世界からのフィードバックを得て、課題先進国としての役割を果たすことはなかった。
ドイツのボンに本拠を置くジャーマンウォッチ(Germanwatch)が毎年、公表する世界各国の気候変動パフォーマンス指標CCPI=Climate Change Performance Index)によれば、日本は2019年、世界60カ国のうち49位である。
1990年代以降の日本の金融危機と金融政策についても、課題先進国のはずが解決後進国に甘んじてきた例といえる。
海外からは、不良債権処理に対する日本の金融当局の後手後手の対応、不十分で曖昧なストレステスト、日本銀行のゼロ金利をめぐる煮え切らない対応や小出しの量的緩和などが批判の対象となった。ベン・バーナンキも連邦準備制度理事会(FRB)も日本の金融当局の取り組みを“反面教師”と捉えた。
しかし、リーマンショック後の金融恐慌を経て、欧米諸国は、債務の深刻さが経済を最も深いところでむしばむことを、そして、人口動態が劇的に変化する中では、ゼロ金利や量的緩和をもってしても経済は元のようには成長しないことを思い知り、日本の経験と教訓に真剣に向かい合わなければならないことも知った。
なぜ、日本の経験と教訓は、世界と共有できなかったのか。
このような問題意識を誰よりも強烈に持ち続けたのは、この間、セントラルバンカーの一人として日本の金融危機に一貫して取り組んだ白川方明前日本銀行総裁だった。
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