日本とアメリカ「シンクタンク」の決定的な違い

数を増やし政治経済への影響力を高めた要因

船橋:そうですか。サントリー文化財団は若手研究者に「やってみなはれ」の機会を幅広く与えているのですね。

今日はシンクタンクについて、基本的にはアメリカのシンクタンクと日本のそれとについていろいろと伺いたいと思っています。

宮田智之(みやた ともゆき)/慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学、博士(法学)取得。在米日本大使館専門調査員、東京大学アメリカ太平洋地域研究センター助教、日本国際問題研究所研究員などを経て、現在、帝京大学法学部准教授。専門はアメリカ政治(撮影:尾形文繁)  

シンクタンクを研究テーマにしている政治学者はそう多くはないと思うのですが、そもそも、なぜ、テーマに選ばれたのですか。

宮田:きっかけは、学問的な関心ではありません。シンクタンクに最初に関心を持ったのは高校生のときです。先生もご著書で触れられているとおり、日本には何度かシンクタンクブームが起こっています。私が高校生のときに、ちょうど、わが国で再びブームが起こりました。そのとき、初めてシンクタンクの存在を知り、関心を持つようになりました。ただ、高校生ですから、ちょっと関心を持ったというだけです。

その後、大学で「アメリカ政治研究」のゼミに入って現代アメリカの政治について学ぶ中で、シンクタンクというのは政治的に重要な役割を果たしていることや、アメリカがシンクタンクの超大国だということを認識するようになりました。

そして、大学院の博士課程に進学し研究テーマを真剣に考えたとき、長年関心を持ち、そのときにも最も関心があったテーマを選ぶのがいちばんだと判断したところ、指導教授に背中を押していただきました。

船橋:久保文明先生(政治学者。東京大学大学院政治学研究科教授。慶応大教授を経て、現職)ですか。

宮田:そうです。指導教授が久保先生だったことは大変ありがたく、幸運でした。シンクタンク自体は政治学の研究対象として確立していませんから、研究者によっては難色を示す人もいたはずで、指導教授がそういうタイプの人だったら、大学院でシンクタンクを研究対象とすることは難しかったと思います。

船橋:久保先生は、あらゆる角度からアメリカを洞察していらっしゃいますよね。知的な間口がすごく広いし、アプローチも柔軟な方ですものね。

ところで、日本におけるシンクタンクブームですが、1990年代に入ってバブル経済が崩壊し、そこに阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が重なって、日本は「失われた時代」に入っていきますけれども、その頃から霞が関だけに任せていたら日本は危ない、ということでシンクタンクや独立系の研究機関を充実させなければというような機運が生まれました。高校生の宮田さんがシンクタンクに関心を持ったのはその頃のことですか。

宮田:そうです。東京財団政策研究所であるとか、構想日本であるとか。

特定の政治活動を推進するシンクタンク

船橋:早熟な高校生だったんですね。で、大学生になって、シンクタンクはアメリカ現代政治の重要なプレイヤーだと認識するようになったということですが、具体的にはどのシンクタンクのどんな営みに注目されたのですか。

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