元・千葉ロッテ荻野忠寛が歩んだ野球以外の道

スポーツと選手の意識を高めるための活動

現在の荻野忠寛氏(筆者撮影)

千葉ロッテマリーンズの荻野忠寛(おぎの ただひろ)という投手を覚えている野球ファンは多いのではないか。

いまから10年ほど前にロッテの救援投手として活躍した。174㎝72㎏という小柄な投手だが、内角をズバッとつく小気味よい投球で、一時期はクローザーも務めた。引退後、荻野は野球指導者になったが、現在は野球にとどまらず、スポーツと子どものために、幅広い活動を展開して注目を集めている。

荻野は小学2年で野球をはじめ、桜美林高校で本格的に取り組む。体が小さくて、ドラフトにかかるレベルではなかったが、神奈川大学に進み大学2年春からエースに。頭角を現すもプロからは声がかからず、日立製作所に入る。社会人では過酷な登板を経験し、肩やひじに、かなりのダメージを受けた。2006年、大学生・社会人ドラフト4巡目でプロ入りする。

プロ通算178試合に登板した荻野忠寛

プロでは、小宮山悟、成瀬善久ら一線級の投手のレベルの高さを目の当たりにして、「手を抜いて投げて通用する投手ではない」ことを痛感し、投球術に磨きをかけた。

1年目はセットアッパー、2年目はクローザーで活躍。しかし実質的なキャリアは3年(2007~2009年)で終わり、あとは肩、ひじの故障に泣く。最初の3年で169試合に投げたが、残りの5年で9試合にしか登板(2012年に5試合、2013年に4試合)できなかった。

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しかし荻野にとって、その残りの5年間が非常に有意義だったという。荻野は2014年に戦力外通告を受けるが、翌2015年から日立製作所に復帰。この時点で、荻野は独自の「故障しないフォーム」を完成させていた。日立製作所ではエースとしてチームを創設以来初の都市対抗決勝戦に導く。準優勝に終わったが、2016年限りで現役を引退した。

さまざまなレベル、環境で野球をする中で、荻野はスポーツと選手の「意識」の問題を考えるようになった。

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