元・千葉ロッテ荻野忠寛が歩んだ野球以外の道 スポーツと選手の意識を高めるための活動

✎ 1〜 ✎ 52 ✎ 53 ✎ 54 ✎ 最新
拡大
縮小
現在の荻野忠寛氏(筆者撮影)

千葉ロッテマリーンズの荻野忠寛(おぎの ただひろ)という投手を覚えている野球ファンは多いのではないか。

いまから10年ほど前にロッテの救援投手として活躍した。174㎝72㎏という小柄な投手だが、内角をズバッとつく小気味よい投球で、一時期はクローザーも務めた。引退後、荻野は野球指導者になったが、現在は野球にとどまらず、スポーツと子どものために、幅広い活動を展開して注目を集めている。

荻野は小学2年で野球をはじめ、桜美林高校で本格的に取り組む。体が小さくて、ドラフトにかかるレベルではなかったが、神奈川大学に進み大学2年春からエースに。頭角を現すもプロからは声がかからず、日立製作所に入る。社会人では過酷な登板を経験し、肩やひじに、かなりのダメージを受けた。2006年、大学生・社会人ドラフト4巡目でプロ入りする。

プロ通算178試合に登板した荻野忠寛

プロでは、小宮山悟、成瀬善久ら一線級の投手のレベルの高さを目の当たりにして、「手を抜いて投げて通用する投手ではない」ことを痛感し、投球術に磨きをかけた。

1年目はセットアッパー、2年目はクローザーで活躍。しかし実質的なキャリアは3年(2007~2009年)で終わり、あとは肩、ひじの故障に泣く。最初の3年で169試合に投げたが、残りの5年で9試合にしか登板(2012年に5試合、2013年に4試合)できなかった。

この連載の一覧はこちら

しかし荻野にとって、その残りの5年間が非常に有意義だったという。荻野は2014年に戦力外通告を受けるが、翌2015年から日立製作所に復帰。この時点で、荻野は独自の「故障しないフォーム」を完成させていた。日立製作所ではエースとしてチームを創設以来初の都市対抗決勝戦に導く。準優勝に終わったが、2016年限りで現役を引退した。

さまざまなレベル、環境で野球をする中で、荻野はスポーツと選手の「意識」の問題を考えるようになった。

次ページ「意識」の問題とはなにか?
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
パチンコ、「倒産」と「リストラ」ドミノの深刻背景
パチンコ、「倒産」と「リストラ」ドミノの深刻背景
パチンコ業界で「キャッシュレス」進まぬ複雑背景
パチンコ業界で「キャッシュレス」進まぬ複雑背景
イオン、PB価格据え置きの「やせ我慢」に募る憂鬱
イオン、PB価格据え置きの「やせ我慢」に募る憂鬱
「イトーヨーカドー幕張店」激戦区の大改装に差した光明
「イトーヨーカドー幕張店」激戦区の大改装に差した光明
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT