「現役の終わり」がない人のたった一つの視点 京都で出会ったご婦人の中に見た希望の光

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しばらくの間メニューを見ていたご婦人はおもむろに「クリームソーダ、ください」とカウンターの中のマスターに告げた。ひそかに聞き耳を立てていた私は、“お、やはりそうきますか”と心の中で頷く。そんな気持ちを見透かしたように、ご婦人が今度は私のほうを見て、照れたように笑いながら弁解を始める。

「ふふ。ここに書いてある文字を見たら、もうどうしても気になってしまってねえ」

「ええ、ええ、わかります」

そう言って、マスターと3人で笑い合う。

「……今日はね、18時からお友達とご飯食べよ、言うて、待ち合わせしてるんです。それにしても、私ももうずっと京都に住んでますけど、お恥ずかしいことにこの辺は今日初めてきたんですよ。ほんまにええとこでびっくりしました。昔のまんまの、ええ京都が残ってますねえ。

おんなじ京都でも、私が住んでる辺りはすっかり昔と変わってしまいました。若い人、外国の人がぎょうさん歩いてはって、せわしない街になりました。もう三味線の音もよう聴こえてきまへん。ずっとやっとった商売も、おんなじ場所ではどうにもならんということになって、今度移るんです」

「失礼ですけど、何のご商売をなさってるんです?」

マスターがそう尋ねながら、ご婦人にクリームソーダを差し出す。透き通るエメラルドグリーンのサイダーに、バニラアイスクリーム。端には、真っ赤なシロップ漬けのさくらんぼ。絵に描いたようなクリームソーダに、ついごくりと喉が鳴る。

栄華を極めた戦前と、全部変わった戦後

「私のとこは三代前から続く帯締め屋してます。父はもともと、帯に刺繍する職人でした。私らが小さい頃は、全国いろんなとこから足の悪い娘さんが50人くらいよってきてはって。みんなうちに住み込んで、刺繍の技術を学んで帰っていかはる。そやからあの頃、祖母や母、女中さんらは、ほんまに大変やったと思いますよ。七輪を外にずらーっと並べて、いっぺんに何十匹もサンマを焼いたりねえ」

これだけ古い町並みを多く残す京都にあって、ご婦人が過ごした栄華を極めた時代の京都はそう簡単には想像がつかない。

「そやけど戦争で全部変わってしまいました。戦争が終わったら、世の中がとても着飾るどころやなくなってしまったでしょう。

今でもよう覚えてます。戦時中は、運動場の真ん中に天皇陛下の肖像画が掲げてあってね。私ら子どもらは毎日、その前で頭を下げてから教室に入るんです。そうするものと教えられてましたから。そやけど戦争に負けた日から肖像画は突然なくなってしまって。今日からはもう頭下げんでええて言われたんです。子どもながらに、何を信じたらいいのか分からなくなりました。

終戦から30年くらい経った頃、同窓会で当時の担任の先生が、私たちにいきなり土下座しはったんです。あの頃、ちゃんとした教育ができずに申し訳ありませんでした、て言わはって」

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