日韓不和なのに空前の「韓国文学ブーム」のなぜ 韓国フェミニズム特集の「文藝」86年ぶり増刷
物語はこうだ。主人公、キム・ジヨンは、何かにつけて弟が優先される家庭で育つ。学校でも男子が優先される環境に置かれ、高校生になって行動範囲が広がると、痴漢やストーカーに脅かされる。大学時代は就職活動でも苦労し、ようやく入った中堅の広告会社では、男性より劣る待遇を受ける。
結婚すると、帰省のたびに姑を手伝い料理に明け暮れ疲労困憊。両家の親たちから子どもを産むようせっつかれ、退職して育児に専念せざるをえなくなる。そしてある日休憩していた公園のベンチで、母親は気楽だと男性たちの陰口を聞いてしまい、ついに彼女の精神は、混乱をきたしてしまうのである。
日本にはない「フェミニズム文学」
主人公が受ける差別の多くは、女性なら身に覚えがあるが、騒ぐには大げさと取られがちなものだ。だからこそ、多くの共感を呼ぶのだろう。
同書をはじめ、韓国では「フェミニズム文学」と位置づけられる作品が多い。抑圧的な社会に対する異議申し立てを行った『私は私のままで生きることにした』も、フェミニズム文学の1つといえる。
日本で翻訳されているものも多い。フェミニストとしての主張をエッセイにした『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』。「韓国フェミニズム小説集」として白水社から出た短編集『ヒョンナムオッパへ』。同性愛者の娘を持つ女性を主人公に、貧困から高齢者介護まで幅広く社会問題を捉えた『娘について』。さまざまな年代の女性を主人公に、女性が生きる困難を描いた短編集『ショウコの微笑』。
いずれも、女性の苦しみを力強い筆致で書き上げ、何が差別でどのように人を苦しめるのかを伝えている。
フェミニズム文学が注目されるのは、ここ数年日本も報道やデモ、SNSでの拡散などを通じて盛り上がるフェミニズム・ムーブメントの渦中にあるからだ。
しかし残念ながら、日本ではフェミニズム文学と銘打った作品群はない。そのため、問題意識を持つ人が韓国文学へ向かう面もあるだろう。
もちろん日本にも、川上弘美氏、角田光代氏、川上未映子氏、松田青子氏、村田沙耶香氏、山崎ナオコーラ氏といった、フェミニズム文学者と位置づけられそうな女性作家はいる。また、柴崎友香氏の新作『待ち遠しい』も、女性が受ける抑圧を描いた作品である。しかし、彼女たちの小説を出版社が「フェミニズム文学」と売り出すことはない。
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