「子米朝」の呪縛を解いた桂米團治の新しい芸境 上方落語・三代目桂米朝の長男にうまれて

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「たちぎれ線香」は、上方落語屈指の大ネタだ。東京でも「たちきり」の名で演じられるが、「上方落語の粋」と言ってよい。父、三代目米朝の代表作でもある。大店(大商家)の若旦那と幸薄い芸者小糸の悲恋の物語だ。

五代目桂米團治を襲名したのは2008年のことだった(写真 :佐々木芳郎 提供:米朝事務所)

今はそうでもないようだが、このネタをおろす(初演する)のは、相当な覚悟がいった。私は30数年前、先代桂春蝶の「たちぎれ線香」のネタおろしを見たが、出囃子が鳴ると、舞台袖で春蝶は愛嬢の手を一度ギュッと握りしめ、口を真一文字に結んで高座に上がっていった。

耳の底に残る米朝と、米團治。2人の「たちぎれ線香」は、はっきり違った。

歌舞伎や落語には「仁(にん)」という言葉がある。「キャラクター」に近いニュアンスだ。落語家は、それぞれの「仁」に合った人物が活躍する噺が代表作になる。

桂米朝は重厚で聡明な人物が「仁」だ。「百年目」の大旦那、そして「たちぎれ線香」の大店の番頭はその代表だ。米朝の噺では、番頭は主家の御曹司を一喝して畳にへたりこませるような迫力、胆力がある。酸いも甘いも噛み分けた番頭の掌(たなごころ)の上で、若旦那と小糸の悲恋は進行するのである。

しかし米團治の「仁」は父とは違う。上方歌舞伎に「つっころばし」という言葉がある。肩をとんと突かれると、つんのめりそうな、頼りなげな、しかし女性の母性本能をくすぐる二枚目のことだ。米團治の「仁」はまさにこれだ。

もう「子米朝」の面影もない

米團治の「たちぎれ線香」では、聴衆は「つっころばし」の若旦那に感情移入するのだ。特に謹慎が解けた若旦那が、番頭の前では小糸のことなどすっかり忘れたように殊勝なことを口にしつつも、逸る心で芸者置屋へ向かう切なさ。悲恋の物語はここから加速し、地唄「雪」のつまびきが途絶えると余韻を残しながら「幕」となる。

米團治は当代では「たちぎれ線香」の代表的な演者といってよいと思う。

今の米團治は「待つことができる」のも大きい。これも父譲りの「はてなの茶碗」。米朝は「茶金」という朝廷にまで名が通った道具屋の主人が「仁」だが、米團治は威勢は良いがいささか軽率な油売りが「仁」だ。

「茶金」に勝手な理屈を伝法な口調でまくしたてる油売りを、米團治は達者に演じる。このとき米團治は客席の反応をしっかり確かめている。中には、客席の反応を待つことが出来ず置き去りにしてしまう演者もいるが、米團治は待つことができる。だから安心して聞くことができる。

今でも米團治は「あほぼんでございます」とマクラ(噺の導入部)で切り出すことがあるが、それも「仁」であって、「子米朝」の面影はもはやない。

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