落語家・瀧川鯉昇がひたすら紡ぐ世界観の魅力 「伝説の師匠」仕込みの独特の噺に迫る

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瀧川鯉昇(写真:株式会社音映システム提供)

日頃、野球の連載コラムを執筆している筆者は35年ほど前、2年だけ事務職として落語界に身を置いていた半端者である。今回、新連載として「噺の話 5000文字」と銘打ち、噺家に芸談を聞くコラムを始めることになった。公益社団法人落語芸術協会などの協力を得て、噺家へのインタビューをもとに落語の世界を案内したい。(以下敬称略)

第1回は、瀧川鯉昇(たきがわ りしょう)。今、寄席で最も面白い噺家の1人だろう。

名前にちなむ「鯉」というテンポの速い出囃子で高座に上がる。この「出」も実に心地よい。座布団に腰を落ち着けると、鯉昇は「にっ」と笑顔を浮かべるが、なかなか声を出さない。沈黙に堪えられなくなって客席が笑い声を上げると、おもむろに話し始める。

本人は「高座でどこまで黙っていられるか」にこだわっているというが、ある放送局のプロデューサーから「客の笑い声があればそのまま使いますけど、客の笑い声がないと、放送事故になります」と言われたという。

高座に上がるなり聴衆を引きつける(写真:株式会社音映システム提供)

落語の本題に入る前の導入部を「マクラ」というが、この「マクラ」で客席をぐっと引き付ける。

「少し暖かい日が続いておりましたが、ようやく冬らしい寒さが戻ってまいりました。寒さは戻ってきましたが、女房は戻ってこない」

丁寧な口調で話しつつ、ぼそっと落とす。「魔味」というか、「悪魔のそそのかし」というか、計算されつくした「間」で、確実に笑いを取っていく。

鯉昇の「マクラ」はすべてオリジナル。目のつけどころも、話の組み立て方もすべて鯉昇ならではだ。耳あたりがいいので、うかうか聞いていると、とんでもない世界に引き込まれてしまいそうだ。

明治大落研は辞めたが落語家に

瀧川鯉昇は1953(昭和28)年、静岡県に生まれた。

「ええ、浜松です。駅から2キロちょっとの距離で、農村と言ったら農村なんですけど地元のデパートのオーナーの家族が住んでいたりするお屋敷町ですね。うちは大家族の貧乏で、外食というのは年に1回か2回しかしない。お祭りか、里帰り。

でもほどよく暖かすぎるもので物成がよくて、去年捨てたごみだめから芽が出て、そこにカボチャが生るんですよ。食べるものはあるんですよ。で、現金がなくても生きていかれるという、そういう不思議な町」

高校卒業後、明治大学に進む。

「農学部だったもので生田キャンパス(川崎市多摩区)。浜松よりももっと田舎でして(笑)。明治大学と言えば、落語研究会が有名です。私は高校時代から落語をやっていましたから、入部はしました。三宅裕司さんが1年先輩にいましたが、すぐに辞めてしまいました。落研の先輩後輩の上下関係になじめなかったんです。でも、今は(私は)一応OBということになっているようです」

大学時代、鯉昇が打ち込んだのは新劇だ。

「高校のときにNHKの放送劇団に入りまして、大学でも演劇を続けていて、劇団に入って慰問に行ったりしていた。役者になりたいと思ったのですが、新国劇に進んだ先輩が、稽古が激しすぎて、アルバイトもできなくてがりがりにやせ細っていくのを見て、私にはとてもできないと思いました」

そこで、もう1つ、高校時代から好きだった落語の道に進むことにした。大学の劇団時代に縁があった8代目春風亭小柳枝に入門したのだ。

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