タイムリーなことに、柳家喬太郎が出演しているチューハイのCMが流れている。ほんの15秒の中で、喬太郎は、いろいろ訳あり話を聞いてくれそうな、こなれた酒場のあるじを好演している。こんなおやじがいれば酒がうまくなりそうだ。
今やバイプレイヤーとしても存在感があるが、一方で新作落語の「鬼才」だ。熱狂的なファンがいる。そして、古典落語では志ん生、圓生、小さんの系譜を継承する本格派との評判が高い。柳家喬太郎の核心は「那辺(なへん)にありや」、これが今回のテーマである。
「昭和の子ども」がいつの間にか落語家に
柳家喬太郎は1963年11月、東京、世田谷に生まれた。
「『大正テレビ寄席』とか『末廣演芸会』とか昔のテレビには、落語家さんが今よりも出ていましたよね。先代の林家三平師匠、亡くなった円歌師匠なんかよく見てました。その下地があったうえで、中学2年生のときに学校寄席が来ました。これがおもしろかったんですよ。そんなことが重なって、中学の終わりぐらいから落語に興味を持ち始めたんです」
同時期に喬太郎はウルトラマンにも夢中になる。その点ではごく一般的な「昭和の子ども」だったが、それがみんな後年「飯のタネ」になったのだ。日本大学商学部経営学科に進み、落語研究会に入る。落研では、自作の新作落語で注目される。しかし落語家になる気はさらさらなかったという。
「やっぱり向こう側の人たちなんですよね。落語が好きすぎて恐れ多くて。しゃべるだけでご飯を食べていくなんていうことが俺にできるわけがないと思っていました」
銀座の「椀や」という居酒屋でアルバイトをしているときに、この居酒屋で定期的に行われていた落語会で、のちに師匠になる柳家さん喬と出会う。しかし、踏ん切りがつかず喬太郎は福家書店に就職。
「僕は銀座の店で、雑誌担当だったので、『東洋経済』をよく置かせていただきましたよ。平積みにしてよく売れましたよ」
「あ、ありがとうございます」
編集者が、あわてて居住まいをただしている。インタビューでも油断できない。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら