「子米朝」の呪縛を解いた桂米團治の新しい芸境 上方落語・三代目桂米朝の長男にうまれて

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米朝一門の落語家は師匠米朝のことを「ちゃーちゃん」と呼んだが、これは幼い米團治が「おとうちゃん」とうまく言えず「ちゃーちゃん」と呼んでいたのを弟子たちが口真似したものだった。

芸名がついたときのことも振り返った五代目桂米團治(筆者撮影)

「うちの一門は、師匠宅で車座になってよく酒飲むんですけども。大学生の時に、枝雀さんに“明くん(中川明、米團治の本名)こっち入り”って部屋に招き入れられて“師匠、この子、噺家になりたい言うてますねん、やらせましょう”言うて。

で、親父が苦虫を噛み潰したような顔をしながらも“噺家のせがれが落語の一つもできへんというのも無粋なもんやし。よっしゃ、一つだけ教えます”って言うたら、その言葉尻をとるように、“ほんなら名前決めましょう”って、もう枝雀さんのペースで、タンタンタンって話が進んだんです」

ついた芸名は桂小米朝、芸名がついた瞬間から、米團治は「子米朝」と揶揄されることを覚悟しなければならなかった。

重い荷物を背負って歩む宿命

上方落語協会に少しだけ勤めていた筆者は20代の米團治を知っている。夏休みに入ると、当時大学生だった米團治の双子の弟が、米朝一門の落語会に遊びに来る。兄同様、一門の落語家とは実の家族のようにして育った2人は、楽屋で自由気ままにふるまっていた。あるときなどは、舞台袖で腹ばいになって高座を見ている弟を、朝丸(現ざこば)などの弟子が「じゃまやなあ」と言いながら軽く踏みつけて高座に上がっていた。

まるでわが家にいるように屈託なくふるまう2人の弟のかたわらで兄の米團治(当時小米朝)は、20代の下っ端落語家として、兄弟子や関係者に頭を下げ、つねに周囲に気を配っていた。同じ兄弟に生まれながら、家の芸を継いだがために、一人重い荷を背負っているのだと思わざるをえなかった。

「もう焦りしかなかったですね。焦りと、なんとか早く一人前、一応の一人前と言われる噺家にならなあかんというので、一生懸命でしたね」

事務所も「桂米朝の息子」ということでテレビやラジオで売り出そうとする。若手落語家として知名度が上がっていった。1983年の市川崑監督の「細雪」では、古手川祐子演じる4女妙子の恋人、奥畑啓三郎役を演じている。

桂米朝の息子としてデビューした五代目桂米團治はどのように今の自分を確立していったのか(写真 :佐々木芳郎 提供:米朝事務所)

「歌舞伎とかほかの演劇やったら、周りが盛り立てて主役に仕立てることもできるけれど、落語はまったく1人ですから。こればっかりは自分が成長しなければならない。親父もしんどかったと思いますよ」

噺(はなし)は師匠や一門から教わることが多かったが「七段目」や「八五郎坊主」のように当時の米朝がやらない噺も覚えていった。

米朝仕込みの米團治の落語は破綻がなくて聞きやすかった。上方弁でいうシュッとした(垢ぬけてスマートな)高座姿は色気もあった。

またクラシックにも精通し、文化的な活動も行った。テレビドラマや舞台でも、若旦那の役どころで好演を見せた。

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