どの受信機も、運良くひとつができあがればいいというわけではない。アンテナが66台あるということは、各バンドの受信機も66台、予備を含めると73台が必要になる。すべての受信機の精度が仕様を満たすのは当然だが、作りやすさも求められる。その結果、製造ペースは月に3、4台となった。1台が完成し、試験が終わるまでには約1カ月がかかるという。日本が担当したすべての受信機は2013年12月に開発が完了し、遠く南米・チリの大地へ送られている。
受信機の試験装置(テストベッド)も国立天文台にある。超伝導ミクサをピンセットで扱うその脇に、設計用のPCがあり、さらに脇に手作りのテストベッドが置かれていて、見上げると天井にはクレーン。やりますよなんでもこの部屋で、という意気込みが感じられる。
その意気込みはまた、別の場所にも満ちていた。ALMA棟の1階にある、その名もメカニカルエンジニアリングショップだ。
雰囲気は、まるで町工場
メカニカルエンジニアリングショップの扉を開くと、東京・大田区あたりの町工場に来たのかと錯覚するほど、ぎっしりと工作機械が並んでいる。年季の入ったものもあるが、一目で、丁寧に手入れされているのがわかる。聞けば、受信機に使われる機械部品やテストベッドは、ここで作っているという。性能と作りやすさの両立に大きく貢献した存在といえる。
ALMAの開発者が所属する先端技術センターは、ALMA望遠鏡用の受信機のほか、ハワイにあるすばる望遠鏡に2012年に新たに搭載された超広視野カメラの開発も担当した。現在進行中の、かぐらという重力波望遠鏡の開発にも関わっている。
いまから400年前、ガリレオ・ガリレイが手作りの望遠鏡で宇宙を観測しはじめた。近代科学の幕開けである。ガリレオが地球そして人間が宇宙の中心ではないということを知った時から、未知なるものに対する科学的な探求が始まったのだ。
天文学者は宇宙を眺めるだけの人たちではない。人間とは何者なのか、地球外に生物はいるのか、宇宙はどのように始まったのか、そして宇宙はどこにいくのか、など未知なるものを追求しつづける人たちだ。そして今も手作りの望遠鏡を作る人たちなのだ。
時代の先端を行きすぎたガリレオは周囲の理解を得るのに苦労した。現代日本のガリレオたちも苦労をする局面があるかもしれないが、ボクは彼らのことを全力で応援していきたい。
(構成:片瀬京子、撮影:尾形文繁)
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