まず1年目のホップ
企業チームの新形態は、鈴木にとってメリットがあった。多くの会社役員と接する機会が生まれ、彼らのマネジメント法を学ぶことができたからだ。
2008年オフ、協賛企業の重役に都市対抗と日本選手権の予選落ちについて頭を下げに行くと、思いもよらぬ話を聞かされた。
「チームを変えようとするとき、来年は都市対抗に出るとか、勝つとか、いっさい言うな」
協賛企業はかずさマジックに対し、都市対抗出場という結果を求めている。それゆえチームの指揮官は、目標に向かって組織を導いていることを説明する責任があると鈴木は感じていた。その考えを重役にぶつけると、発想を根本から覆された。
「もちろん結果を求めているよ。ただ1年、1年を勝とうとするから、思い切ったことができない。3年後に都市対抗に出られるチームを目指せばいいじゃないか。だから、来年は負けてもいい。そうやってやれば、新人を使えるだろ? ホップ・ステップ・ジャンプとしていくには、まず1年目のホップが必要だ」
鈴木は多くの選手を引退させる代わりに、自らの手で新人を勧誘した。彼らに実戦経験を積ませ、鍛え上げたことで、2010年には7年ぶりの都市対抗出場を果たした。
しかし、2011年は予選敗退に終わる。指揮官が方向を示すだけでは、成長できる幅が限られていた。
そこで鈴木は、チーム改革の第2段階に突入する。2012年、入部3年目の米田真幸をキャプテンに抜擢し、選手主導で練習するように変えたのだ。
外野手の米田は50mを5秒5で走る俊足で、平成国際大学時代にはドジャースが調査したほどの選手だった。芯の強さを誇り、先頭に立ってくれる人間だと鈴木は期待した。
「監督はしょせん、フィールドに入れない人間。フィールドに入っている人間がゲームを動かしていかないと、何も変わっていかない。私自身がそういうタイプだったけど、『オレたちが結果を出せば、監督はうるさく言わなくなる。結果を出せばいいんだろ?』と言えるようなキャプテンが必要。米田はそういう強さを持っている人間だと思った」
選手が自主的に動く組織をつくるうえで、欠かせない要素があると鈴木は考えている。先輩、後輩の良好な関係こそ、チームに成長をもたらせるということだ。
「私が就任した頃は、よく言えば仲良しチームだった。上のヤツが、下のヤツに言いたいことを言わない。そんなヤツらがグラウンドで『意思疎通して戦おう』となっても、できるはずがない。嫌われたっていいから、言いたいことは言わなきゃダメ。よく選手には、『お前ら先輩が言わないから、下ができないんだ』って話している。理解させてあげれば、やりますよ、若い人たちは特に。だって、教わってきていないだけだから」
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