平安時代は布団がなくて、古い着物に綿を入れて毛布代わりに使っていたそうだが、洗濯機はもちろん、水道もないので衣類をそう頻繁には洗えていないはず。つまり、その「ほんのり染みついた汗の匂い」というのは昨日か今日のものではない可能性が非常に高い。姐さんはほかの女房と共同生活だったので、もしかしたらその毛布らしきものをシェアしていたとなると……優雅なイメージがガラリ一変。
お風呂に入ると病気になると信じられていた昔のヨーロッパ(主にフランス)では、貴族は体臭をごまかすために大量の香水をつけていたようだが、平安朝の貴族にとって薫物が似たような機能を果たしていたと思われる。しかし、効果がどれぐらいあったのか……。
汗の匂いが許容範囲だったようなので、その判断基準を疑いたくもなる。そこで古典文学の作品の中、愛の小道具として欠かせない「匂い」が登場する数々のシーンが頭をよぎり、もしかして……と思ってしまう私である。
叶わぬ恋と「におい」のやり取り
例えば『源氏物語』。人妻である空蝉を求めて、光源氏が部屋に忍び込むが、彼女は薄衣一枚を残して逃げてしまう。胸キュンマックスの場面だが、改めて見てみると、以下の記述を発見。
【イザ流圧倒的意訳】
まあ、どうしよう、あれは まるで伊勢の海人(あま)の捨て衣のように、だいぶ塩っぽく汗臭かったと、空蝉が大混乱(…)
空蝉がかなり気をもんでいるようだが、源氏君ときたら、匂いがしっかりと染みついた衣を持ち帰って、傍らに置いて夢路をたどる。都を去るときに、その衣が彼女の元に返されるが、今度源氏君の匂いが染みついており、それに気づいた空蝉が涙を流すという。
匂いの往来こそが成就されない2人の切ない恋、空しく交差する思いを表している。嗚呼(ああ)、切ない!とロマンチストな私は叫びたいところだが、その恋のフレグランスは果たしてどんなものだったのか、と想像してしまうもう一人の自分がいる。じわっとココロに響く、ツンと鼻にくるものだったのだろうか……。
こうした数々のちょっぴりヴィンテージな美意識は、確かに1000年の時の流れを感じさせる。しかし、それでもなお読み継がれる『枕草子』。清姐さんの目を通して見る遠い時代は、ゴージャスな色合いを帯びており、読んでいるうちに自分の周りも一面シックに変わっていくよう。宮廷のインフルエンサーだった彼女の言葉は、時代の移り変わりの中でたまってしまった埃(ほこり)を一瞬にしてどこかへ吹き飛ばしてしまう力を持っているのだ。
「をかし」だったことも、時代が変わればある日「おかしく」なるということあろうけれど、その変化に耐えて、正直にマイウェイを突っ走り続けた清少納言は誰よりもカッコイイ。今でもあの世からファッションチェックしているのではないかと思うと、背筋が凍りそう。明日は、とっておきのピンヒールを履いて街へ出かけよう。清姐さんも母もきっと喜んでくれるはず。
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