第261段 文学は最高のオシャレである
ウキウキするもの。まだ読んだことない物語の一巻を読んで、続きがどうしても読みたくてうずうずしていて、残りの分を読むことができたときには最高の気分だわ。がっかりすることもあるけれど。
紙を使えるのはこの上ないぜいたくだった
いわゆる「文学部不要論」はどの国でも何年かおきに浮上するようだが、世の中の大学から文学部を消すというのはそう簡単に実現できることではないと思いたい。
しかし、学問として消えないまでも、何となくダサい、役に立たないというイメージはどうしても拭えない。心から言葉や物語を愛していた清姐さんが、このことを知っていたら「せめておそろしきもの……」とカンカンに怒るだろう。物語は最も面白く、最先端のエンターテインメントだもの。
平安時代を生きたレディースたちは、生涯のほとんどを家の中に閉ざされて過ごし、和歌、物語、音楽を楽しむほか、何もせずにただ座っているか、横になっているだけだった。
紙は最高の貴重品で、手に入れるのも至難の業だったということもあり、本を持つこと、紙を自由に使えるというのは、この上ないぜいたく。しかも、当時の世界の中心だった平安京の貴族でさえそんなありさまだったので、都会から離れて暮らしていた人々にとって物語は、超スーパーVIPしか入手できない幻の代物だった。
例えば、地方で幼少時代を送った『更級日記』の作者、菅原孝標女は、親戚の女性から『源氏物語』のさわりの部分の噂を聞き知っただけで、一文字たりともこぼさずに全文が読みたいと、神様に手を合わせて祈りを捧げたほどである。
娯楽に飢えていた昔の女房たちにとっては、駅のキオスクの品ぞろえくらいでも天国に見えたことであろう。かくいう私は、カバンから本をチラつかせただけでカッコよく見えるという世の中になってくれないのかな、と思うあまり、つねに2冊ほど持ち歩いているほどだ。万が一に備えて。
第41段 あのにおいに包まれて寝たい
7月頃のこと、風がビュンビュン、雨かザアザア降って騒がしい音がする日、だいたい涼しくて、扇なんてつい忘れちゃう。そいうときに、汗の匂いがほんのり染みついている綿入れの薄いものを、顔が隠れちゃうところまで引き上げて、昼寝をする気持ちよさというのはサイコーよね!
この世の中、昼寝が嫌いな人が果たしているのだろうか。怠け者の習慣のようで多少の罪悪感を抱えている昼寝ファンもいるかもしれないが、最近の研究では適度の睡眠が脳を活性化させるともいわれているし、なんといっても気難しいファッションリーダーの清姐さんがOKというならば……。
夜に寝るというのは生理現象というか、当たり前なことだが、昼寝はちょっぴり贅沢。日常に潜んでいる小さな幸福の瞬間を文章に残すなんて、姐さんは相変わらず素敵なセンスの持ち主である。
と、うっとりしていたそのとき……待てよ!それにしても汗の匂いが染みついたものをかぶって「サイコー」というのはちょっとそれ……現代人の共感度がぐっと下がる。
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