「男を家で食事させない」平安女の尖った恋愛観 現代にカムバックさせたい「枕草子」の美意識

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だが、平安時代が全盛期を迎えてからこれだけ時間が経ってしまえば、文化も生活基準もまるっきり変わり、昔は常識だったことが通用しなくなる、というのはごく当たり前。それは、TPOをわきまえた着物選びから男性を手のひらで転がす方法まで、ファッションにとどまらない万能なバイブルである『枕草子』も例外ではない。

よくぞ言ってくれた!と思わずうなずいてしまうところが圧倒的に多いが、あれれ~おかしいぞ~と思うような箇所ももちろん多々ある。そこで、現代でほぼ考えられない平安時代ならではの常識をいくつかピックアップしてみたい。使い方によっては、一点もののヴィンテージアイテムはオシャレ度をぐんと上げるらしいので、早速ご紹介。

第189段 男は女の家で食事をしてはいけない

宮仕へ人のもとに来などする男の、そこにて物くふこそいとわろけれ。くはする人も、いとにくし。思はむ人の、 「なほ」など心ざしありていはむを、忌みたらむやうに、口をふたぎ、顔をもてのくべきことにもあらねば、くひをるにこそはあらめ。いみじう酔ひて、わりなく夜ふけてとまりたりとも、さらに湯漬をだにくはせじ。心もなかりけりとて来ずは、さてありなむ。里などにて、北面よりいだしては、いかがはせむ。それだになほぞある。
【イザ流圧倒的意訳】
宮仕えしている女性の局に通ったりする男が、そこで食事するなんてありえない。食べさせる相手の女性もいけ好かない。自分に対して愛情を持っている女性が「まあ、そう言わずに……」と優しく勧めてくれたら、その気持ちを踏みにじり、口をふさぎ、顔を背けるわけにはいかないから食べているんだろうけれど、それにしてもねぇ。ものすごく酔っぱらって夜が更けてから泊まったとしても、湯漬けだって、私は食べさせてやらないわよ、絶対に。お気遣いができない女とか言って、以降訪問が途絶えたとしたら、大いに結構よ。実家に帰っているときに、気を利かして食事を出した場合はギリギリOK。でもまぁみっともないことはみっともないわ。

道綱母は「冷めてもおいしいわよ」なんて言わない

男性が女性の手料理にキュンとくるらしいという話はよく耳にするが、平安時代ではアウト。確かに、よく考えると、昔の物語の中で食事のシーンはほとんどない。例えば、女たらしとして名を馳せた在原業平や源氏君は数知れずの女性の部屋に忍び込んでいるが、そこで何かを食べたという記述は見当たらない。

『源氏物語』の中では、「お酒参る」、次に「御さかななど参る」というもてなし方に関する記述は所々見かけるが、それはつまりお酒とおつまみというお決まりのライトコース。その後何かを食べていたかどうかは不明だが、おそらく何も出されていないはず。「ねえあんた、なんか作ってあげようか。お腹、空いているんじゃないの」と耳元で優しくささやいている六条御息所なんて、全然イメージが湧かない。「冷めてもおいしいわよ」と、鶏肉の唐揚げの入った弁当を兼家に持たせて、「行ってらっしゃい」と門の前で満面の笑みを浮かべて手を振っている道綱母などはもってのほかだ。

男の訪問は昼間のこともあったかもしれないが、夜の訪問が圧倒的に多く、当然愛を育むというのが主な目的だったわけである。聖なる恋愛の場で、食事という日常を入り込ませるとはロマンスをぶっ壊すことに匹敵する、というような考え方がきっと昔にはあったと思われる。

そっと部屋に忍び込み、女性を口説き、太陽が昇る前に別れを惜しみながらも立ち去り、帰宅してから早速気の利いた後朝(きぬぎぬ)の文の作成に取り掛かり、召し使いを手配し……殿方がその一連の愛の作法を空腹のままでこなしていたと思うと、タフじゃないとなかなか恋愛できない時代だったんだと初めて気づく。

そうした中、不憫に思って料理でも振る舞っていた心の優しい女性がいただろうけれど、清姐さんの揺るぎない美意識は容赦などない。私とご飯、どっちが大事なの??というスタンスである。

料理が苦手な私は、平安時代の美意識に激しく同意。イタリア人だからってパスタを小麦粉から作っていると思われても困る。そして、ササっと肉じゃがを作れる女たちよ、いつの時代にだってモテると思うな、と言いたいところでもある。

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