39歳で出産した真中ゆかりさん(仮名・44歳)が初めて不妊検査を受けたのは結婚5年目、36歳のときだった。
「結婚当時はまだ妊活という言葉もなく、夫は長期出張で留守にしがち。不妊治療に対してもそれほど積極的なわけではなく……。不妊と認めたくないという思いもあり、不妊に気づかなかったし、専門クリニックに行くのはハードルが高かった」
商社の事務職だったため、平日の日中に外出することはほとんどなく、週末以外で病院に行くことは難しい。そうこうしているうちに、気づけば36歳になっていた。
引っ越しを機に、勇気を出して「不妊治療」も診療の1つに掲げている自宅の近所の総合病院を受診した。しかし、そこで「ここは産科が中心なので、あなたが来るところではない」というまさかの心ない言葉。その場で泣き崩れた真中さんを見かねた別の先生が、ほかのクリニックを紹介してくれ、ターミナル駅の不妊専門クリニックにすぐ向かった。
その日の採血で、とあるホルモンの数値[卵胞刺激ホルモン(FSH)]が閉経間際の値だと指摘を受ける。「手遅れかも……」。目の前が真っ暗になった。
選択肢は最初から体外受精一択
FSH値から、選択肢は最初から体外受精一択だった。卵子を作らせるために排卵誘発剤を注射すると普通は10個以上の卵子ができるが、真中さんは注射をしても卵が1〜2個しかできない。それでも言われたとおりのスケジュールで毎回会社を休み注射に通った。治療を始める半年前に、比較的忙しくない部署に異動したこともよかった。
とはいえ、採卵前は卵巣が腫れ、体調が悪いのがとにかくつらい。注射の副作用もきつく、採卵の日は安静にしないといけないので1日休み。そして毎月生理がくる度に精神的ダメージが大きく、1人で泣き腫らして会社に行けないこともあった。
それでも、仕事を辞めるという選択肢はなかった。
「不妊治療に通っても、妊娠できる確証はなく、何百万円払ってもできないかもしれない。できたらラッキーくらいに思っていた。仕事は1回辞めたら復帰はできない。もし妊娠できたとしても、仕事を辞めていたら保育園には入れない。治療はどこがゴールかわからないんです」
そんなある日、東日本大震災が起こる。所属していたのは財務部でお金を扱う部署だったため、にわかに忙しくなった。全社で危機管理のバックアップ機能の構築が急務となり、急遽、仙台出張が入る。しかし、それは以前から決まっていた採卵日だった。
「この採卵のために、何カ月もかけて準備をして、やっとこの日にたどりつけたんです。どうしても、何が何でも出張を回避したかった」
今まで会社では不妊治療のことは内緒にしていたが、突発的な休みが増えていたこともあり、上司に治療のことを打ち明ける。そして、どうしても採卵したいと直談判し、出張を回避した。
伝えたからといって、その後対応が変わったり、融通があったりするわけでもなかったが、「上長が知っている」環境ができた。職場の同僚たちには「通院している」とだけ伝え、表面上は今までと何も変わらない会社生活を送りながらも、休むときに上司にはきちんと理由を伝えられるようになった。しかし、職場で産休に入る人をみると、切ない気持ちが募った。
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