IT企業で企画営業を担当する水野奈々さん(仮名・36歳)が不妊治療を始めたのは30歳のとき。それまで子どもは自然に任せてきたが、結婚から約4年が経ったころ、友人が不妊治療を開始したと聞いて、通勤途中にあるクリニックで検査を受けた。
妊娠のしやすさの指標の1つ卵巣年齢(AMH)もそれほど悪くはなく、不妊の要因はとくに見当たらなかった。にもかかわらず、タイミング法、人工授精をそれぞれ2〜3ターム繰り返すも結果は出ず。あっという間に、体外受精へステップアップした。卵が育ちにくく、採卵に苦労することが多かったため、多いときは週3回、”卵を育てる”排卵誘発剤の注射を打つために通院した。
「通いだしたらスイッチが入り、そこからは妊娠のことしか考えていませんでした。なので、ステップアップも当然のように受け入れました。クリニックは20時閉院。18時に会社を出られれば間に合いますが、うちの会社で18時に退社する人なんてほぼ皆無(苦笑)。連日定時あがりなんてありえなかった」
増えるうそのバリエーションがつらい
営業という職種柄、直行直帰しやすかったこともあり、今日朝イチに通院したら、翌日は帰り際に……と自分で調整したり、半休を駆使していたという水野さん。
しかし、採卵や受精卵をお腹に戻すときなどは、麻酔をするため手術扱い。安静にしなければならず、どうしても休みを取らないと対応できないこともあった。
「定時に帰る人も少ないですが、有給休暇を使う人も少ないんですよ、うちの会社。私は幸いにも月経周期が安定していてスケジュールが読みやすかったので、『この辺で卵を戻せるな』と自分で予測を立てやすかった。だからその周辺の日程には予定を入れず、前日くらいから具合悪そうにしたりして休んだり……(苦笑)。うそのバリエーションは増えました。でも根が真面目だから、うそつくこと自体がものすごくストレスでした」
それでも、社内で不妊治療をしていることは公表しなかった。
「社内結婚なので、夫婦2人とも社内の人に知られたくなかった。なんか欠陥品だって思われるみたいで。しかも新卒からずっといる会社で、私はそんなに子どもを欲しがっていると思われていなかったんですよね。長年いる会社だからこそ、わざわざ言うより言わないほうが楽かなって」
治療はつらかった。薬や注射の副作用で、気持ちが悪く、お腹も張った。あんなに好きだった仕事がどうでもよくなり、営業成績もまったく振るわず。
妊娠のことだけに邁進していたのに、2度の体外受精に挑戦するも結果は出ず。ほとんど誰にも相談していなかったので、もっぱら情報収集やはけ口はネットの世界。誰にも相談できないからこそ、自分の決断と直感を信じ、「ここの治療方針や注射は私の体質には合っていない」と主治医の制止を振り切り、体外受精専門の超有名クリニックに転院した。
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