水俣病の研究で知られる宇井純や原田正純のような、経済学者ではない知識人の影響も受けながら、公害を分析する理論を構築していきました。
──同時に、主流派経済学を猛然と批判するようになります。
宇沢が厳しく批判した論敵を1人挙げるなら、シカゴ大の同僚だったミルトン・フリードマンです。『資本主義と自由』『選択の自由』という、世界中で読者を獲得した市場原理主義の啓蒙書を著した経済学者です。
フリードマンはシカゴ学派を率いて、市場原理主義を世界中に広めることに成功しました。アメリカのレーガン大統領、イギリスのサッチャー首相らの政策に多大な影響を与えたのです。
フリードマンも宇沢の批判を気にしていた
──少数派だったフリードマンが主流派のケインジアンを駆逐するさまは、まさに思想闘争です。

フリードマンは経済理論家としては消費理論などで大きな実績があります。他方、啓蒙書では緻密な学問的議論はいったん棚上げし、市場原理主義という自らの信念を、学問的なバックグラウンドがあるかのように見せかけて主張する。
確信犯的にそれを行い、アメリカの大統領にまで“布教”したわけです。功罪は別として、突出した存在感と影響力を持つ経済学者だったことは間違いありません。
宇沢はフリードマンの思想の核心を早くからつかみ、新自由主義思想が広まる前から、友人でもあるフリードマンに面と向かって反論し、議論を挑んでいました。
──フリードマンも宇沢の批判を気にしていたそうですね。
宇沢が帰国した後、日本語で書いた論文や記事を英語に訳させ、丹念にチェックしていたそうです。自分にとって手強い論敵だと見なしていたのでしょう。
──その後長らく、市場原理主義は経済学界だけではなく、世界中でもてはやされてきました。
思想闘争では宇沢は敗者とならざるをえませんでしたが、悪戦苦闘しながら市場原理主義に対抗する理論の構築に励み、社会的共通資本の経済学を提唱しました。
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