アメリカでの地位を捨て帰国
──執筆のきっかけは?
竹中平蔵の評伝『市場と権力』の取材の一環でお目にかかりました。竹中に関する質問は早々に切り上げ、経済学者および経済学への疑問を次々にぶつけました。これまで出会った経済学者とは全然違う、深い問題意識を持つ碩学であるとわかったからです。
評伝を書く許可を得た後、宇沢の自宅で1日中話を聞く機会が何度もありました。私の経済学の知識が乏しかったため、執筆に時間がかかってしまいましたが。
──宇沢は米スタンフォード大学、シカゴ大学を拠点に活躍し、35歳でシカゴ大教授になりました。
アメリカでは若手で一、二を争う理論家と目されていました。宇沢と親しかったアロー、ソロー、アカロフ、スティグリッツに取材したのですが、ノーベル経済学賞受賞者の彼らがそろって、「ヒロ(宇沢のこと)は当然受賞すべきだった」と証言したのが印象的でした。
資本主義の不安定性を示唆する結論を導いた「宇沢二部門成長モデル」で宇沢弘文の名は世界に知られるようになりましたが、一般均衡理論や消費理論など幅広い分野でも業績を残しています。数学の能力に秀でていたので「経済学の数学化」の時流に乗り、評価は高まる一方でした。
──ところが不惑を迎える年にアメリカでの地位を投げ捨て、帰国。その後、『自動車の社会的費用』を著すなど啓蒙家として注目されます。
データ上では高度成長を遂げ輝いて見えた日本で、実際は公害が蔓延しているといった現実を目の当たりにします。しかもそれが経済学の盲点となる外部不経済の問題で、主流派経済学では分析できなかった。
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