自分自身の「あいまいさ」に気づかされた
――今回、小説の題材になぜ認知症を選んだのでしょうか。
きっかけは大きく2つあった。1つが、認知症になった祖母と向き合った、僕自身の経験だ。5年前のある日、久々に祖母の家に行ったら、会うなり「あなた誰?」と言われて。すごくショックだった。認知症なんて自分にまったく関係ない世界のものだと思っていたので、誰にでもこういうことが起こるんだなと痛感させられた。
祖母に「あなた誰?」と言われたとき、何というか、答えるのが難しいなと思ったこともよく覚えている。名前を言って、職業を言って、それだけで自分を証明できるんだろうか。祖母が僕のことを忘れてしまったら、われわれの間柄は親族と呼べるのだろうか。そういうアイデンティティ・クライシスを体験して、これはけっこう考えさせられるテーマだなと思った。
そのまま作中に書いたエピソードもあって、例えば、一緒に釣りに行った思い出話を祖母としていた時のこと。僕が「海でさ、こんな大きな魚を釣ったよね」と話したら、祖母に「それは海じゃなくて、湖だったでしょう」と訂正されたことがあった。家に帰ってアルバムを見てみると、確かに湖なんですよ。
――知らず知らずのうちに、川村さんの記憶が書き換わっていたと。
こういうことは意外と多い。認知症が進行して、いろいろなことを忘れていく祖母と向き合いながら、自分自身の記憶のあいまいさ、不確かさに気づいて、それこそを小説の中で描きたいと思った。認知症の小説って、どうしても介護が大変だねという内容になりがちだけど、むしろ新しい気づきを得ていく子どもたち、孫たちの側の話を書くことにすごく価値があるんじゃないかと。
振り返ってみれば、(川村氏がプロデューサーを務めた映画作品である)『君の名は。』も、主人公の2人が、忘れてしまった互いの名前を必死に追い求めるというストーリーになっている。やっぱり自分自身、人の記憶みたいなものには以前から興味や執着があるのだなと。祖母と関わる中で、それに改めて気づいた。
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