小説家・川村元気が「認知症」を描いたわけ ヒットメーカーが「忘れゆく祖母」にみたもの

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――2つ目のきっかけは?

全然違う方向からなんだけど、AI(人工知能)に興味を持ったことだ。たくさんの研究者と話す中で、「人工知能で究極的には何をしたいの?」と聞くと、皆さん「人間を作りたい」と言う。で、「どうやって作るの?」と聞くと、「ひたすら記憶させる」と。将棋の棋士のAIを作るならひたすら棋譜を、小説家のAIを作るならあらゆる小説を覚えさせるという。やっぱり、人間の本質は肉体ではなく記憶なんだなと思った。

かわむら・げんき/1979年横浜市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業。映画プロデューサーとして『電車男』『告白』『悪人』『モテキ』『君の名は。』など数々のヒット作を世に送り出す。初めての小説『世界から猫が消えたなら』はベストセラーになり、英語を含む15カ国語に翻訳される。2020年の東京五輪開会式・閉会式プランニング・チームのメンバーも務める(撮影:尾形文繁)

そのとき僕が反射的に思ったのは、例えば優れた画家のAIを作りたいなら、僕はそのAIに過去の作品をいっぱい記憶させた後に、「赤」という色の記憶を消してみたりするだろうなと。するとそのAIは、「赤」の記憶がないまま、ほかの色とか形とかを総動員して「赤」を表現しようとするはずで、そのときにこそ作家性とか、個性が生まれるんじゃないか。小説家のAIも同じで、例えば「愛」という言葉を奪われたら、ほかの言葉でなんとか表現しようとなるはずだと思った。

つまり人間の個性とか創造性って、何を知っているか、覚えているかより、何を忘れているか、何が欠けているかにかかっているのではないかと。僕はこれまで、認知症や忘れてしまうことに恐怖感を持っていたけど、その感覚が少し変わった。日本では今、認知症患者が何百万人という単位になっていて、今後もどんどん日常化していく。そんな時代に小説として、認知症の悲惨さだけでなく、すごく前向きなとらえ方を提示できるのではないかと思った。

祖母が幸せそうで、うらやましいと思えた

――小説の中では主人公の母親について、多くの記憶がなくなっていく一方で、一部の記憶がより鮮明になっていく様子が描かれています。

これもやっぱり、祖母から得た気づきが影響している。僕の祖母は若い時、奔放に恋愛をする、けっこう激しい女性だった。そんな祖母が認知症になってから、そういう恋の記憶がものすごくクリアになって、どんどん若返っていくようだったのがすごく印象的だった。要するに、本人が最後にしがみついている記憶って、余計なものが削ぎ落された、その人そのもの、中心なんじゃないかと思うようになった。

かたや僕は、連絡先やスケジュール、思い出の写真も全部クラウドに上げて、自分のメモリーを何もかもこぼさないように生きている。でも、どれが本当に大事なものか正直よくわからない。そんな自分からは、記憶が抜けていく、非常に大事なものだけになっていく祖母が幸せそうで、うらやましいとすら思えた。この物語の最後にある“どんでん返し”も、忘れていく母が最後まで覚えていることがキーワードになっている。

小説家の仕事は「どう書くか」ということ以前に、「何に気づくか」だと思っている。人間にとって記憶はどういう存在なのか、認知症になって忘れるとはどういうことなのか。加えて、思い出も記憶も全部クラウド化している僕らの現状をどう考えるのか。いろいろな角度からの気づきが僕の中に貯まっていて、それをエンターテイメントとして表現してみたのが今回の作品だ。

この「エンターテイメントとして」というのも、僕にとっては決定的に重要。今回は介護施設を10以上、100人以上の認知症の方に取材したし、その内容をドキュメンタリーとしてまとめることだってできるかもしれない。でも、それはしない。やっぱりミステリーの仕掛けだったり、クライマックスで泣けたり、そうでないとどうしても面白くないし、伝わらない。感情を動かすエンターテイメントを作るというのが、僕の人生のテーマとしてあるので。

次ページ取材で「メモをとらない」理由
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