日本の現場に「失われた20年」はない ものづくり論の大家・藤本隆宏氏の提言(下)
個別産業の浮沈の背後には、昔もいまも「比較優位」の原則がある。筆者は、21世紀においてはとくに「設計の比較優位説」が重要と考える。実際、日本の産業現場は、自動車など調整集約財(擦り合わせ型)ではハンデを克服する現場力の対外優位により輸出を続けたが、デジタル製品など調整節約財(モジュラー型)の多くはハンデをはね返せず衰退した。これはリカード比較優位説を生産費から設計費に拡張すればおおよそ説明可能である。
いずれにせよ、一産業の盛衰がハンデ抜きの現場の実力(裏の競争力)のみで決まることはない。よって、テレビなど特定の一産業の不振をもって、連想的に日本の全製造業現場の没落を主張する言説は、経済論理も現場認識も欠いた誤謬である。
現場の実力は「付加価値の流れ」のよさ、たとえば、物的生産性(原単位)、リードタイム、不良率など「裏の競争力」で評価されるべきものだ。日本の優良な貿易財現場は、過去数十年、逆境下での能力構築競争で鍛えられたこともあり、欧米や新興国に比べても、生産性や品質ではいまも優っていることが多い。
そうした現場は、過去20年、円高、中国など低賃金人口大国の出現、デジタル情報革命による調整節約財(モジュラー型)の増加などによって、史上最大のハンデを背負わされたが、それでも優良な現場は能力構築をあきらめずに続け、ハンデをはね返そうとした。生産性を2倍、3倍、5倍、8倍と高め、それでも閉鎖された家電工場などはあったものの、多くは生き残った。
現代のように産業競争に不確実性、能力構築に不可逆性、知識移転に外部性が存在する場合、仮に静態的な比較優位、すなわち単位原価で海外に負けている国内工場でも、生産性に関する優位性と潜在力をもつ「よい現場」は国内に残すほうが、企業や経済の長期的な全体最適には適う。筆者が「よい現場を国内に残せ」と主張する根拠は、以上のような「現場発の産業論」にある。
「強い現場」と「弱い本社」
経済や一部の企業・産業に「失われた20年」はあったかもしれないが、現場もそうとは限らない。その間、産業はハンデ付きの「表の競争力」では苦戦したが、現場がそのハンデに対抗する能力構築を続けた結果、少なくとも「裏の競争力」たとえば生産性や製造品質は大きく向上し、新興国に対する実力差も維持した。要するに、よい現場に「苦闘の20年」はあったが、「失われた20年」はなかった。日本が「強い現場・弱い本社」といわれるゆえんである。
たしかに「過去20年、国は経済運営を誤り混乱し、大企業経営者は戦略を誤り劣悪環境に萎縮した。官民ともにその是正をせよ」とのアベノミクス成長戦略の診断と処方箋は、方向性としては正しいと筆者も考える。しかし、この図式には、能力構築と需要創出でしぶとく生き残り、雇用もある程度確保した国内の現場の努力が視野に入っていない。過去数十年の苦闘で鍛えられた国内の「よい現場」の実力と潜在力を正しく評価し、さらに強化し、それを活用する戦略を、為政者や経営者がしっかりもたぬかぎり、規制緩和と投資減税の組み合わせだけでは、長期安定的な成長は覚束ないのではないか。
その意味で、規制改革・投資減税を軸とする「第三の矢」に欠けている第三の軸は、「よい現場」の評価・強化・活用をより直接的にサポートする、国の政策や企業の戦略であろう。詳細は別に譲るが、たとえば定年退職したものづくりシニアの再教育により、現場の「付加価値の流れ」を改善する「ものづくりインストラクター(改善の指導者)」を全国で育成するスクールの実証実験は、筆者の周囲で10年近く続いており、導入する地域も増えている(拙著『ものづくりからの復活』、共著『ものづくり成長戦略』参照)。