老母に「死を待つだけの時」を過ごさせる愚行 親の「在宅終末介護」を兄弟が拒否したら…

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その後私は終末介護について多くを学び、母の病院死は、私の無知と欲のせいだったと悔いました。そのことを私以上に悔いた姉の最期は、私は姉宅で数カ月介護し、看取りました。姉の最期の言葉は私への感謝の言葉でした。

在宅で家族を看取った人の話や看取った医師の著書、例えば105歳まで現役の医師として活躍された日野原重明先生の『死をどう生きたか』など多くの名著は、最期の瞬間まで心豊かに生きることの意味について、深く考えさせてくれます。

お兄様夫婦の退院に反対する理由が、急変したときの不安だけでしたら、それを払拭するのに参考になる本もたくさん出ています。昨年出版された森鷗外のお孫さんの小堀鷗一郎医師の『死を生きた人々』も、この問題を考えるうえで参考になる本です。

「死を待つだけ」にならないために、最期の時間を伴走

病院で最期を過ごした人たちは、最期の瞬間までバイタルサインのチェックを受け、最期は心臓マッサージを受けるなど、医療関係者の手厚い治療や看護の中で逝ったのですから、それ以上は考えられない最高の最期だったと言えるでしょうか。

私は10人以上の人の重い病の末の最期に立ち会いましたが、病院で最期を過ごした人は、たとえ面会時間中に家族が付き添っていても、その姿は「死を待っているだけの時間」に見えることがよくありました。

それでまたまた私事になりますが、母を畳の上で看取れなかったと、私より嘆いた長姉がその四半世紀後、やはり主治医の先生から、「最期は家で過ごさせては?」と退院を勧められたときのことです。

私は迷わず、昔の私と同じ理由で渋る姉の子どもたち(私の姪)を説得し、私が最期まで付き添うという条件で、「自宅で緩和ケア」に切り替えました。

懇意にしていた医師の、「人生の終末期を自宅療養していた人も、最期の急変時に家族が慌てて救急車を呼ぶ事例が多いが、それはあまり意味がない」という話も参考にしました。

姉には「気分転換のための一時退院」で、「そのほうが薬が効くかもしれないと先生も仰っている」とうそをつきました。

遠くに住む姪たちも私も、それぞれの家庭や仕事より介護を優先しました。2人の姪がいちばん頑張りましたが、昏睡状態になる前、最期に姉が、「忙しいあなたが(筆者のこと)こんなにしてくれるとは思いもしなかった。あなたが居なかったら、私はとうに病院で死んでいたと思う。おおきにねー」とつぶやいたときは驚きました。

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