悩む人を嫌う人には、弱者を嫌う本物の強者もいますが、それは一握りであって、大部分の悩む人(ニーチェもここに入る)は、他人の中に自分自身の弱さを見ているようでイヤなのです。すなわち、何らかの(本人にもわからないかもしれない)深い理由により、悩みを直視すると自分が壊れてしまいそうなので、絶えず自分は「悩みがない、悩みがない」と言い続けている。
それはそれなりに努力がいりますから、そんな努力もせずにうめき声を上げているヤカラは腹立たしくて仕方ない。こういう人が、「悩んでいる人」をとても嫌うのです。これまで私はこういう感じの人にずいぶん巡り合ってきました。
また、次のことも知っておく必要があります。私のように悩み苦しみ、それなりに克服してきた人間は、意外に悩んでいる人に対して冷たい。悩みの「大きさ」や「重さ」は完全に個人的であるにもかかわらわず、自分の悩みはそんなチャチなものじゃなかった、という「誇り」がつい頭をもたげてきて、眼前の悩んでいる人を「軽蔑して」しまいます。
私はマイナスの結晶のような人間でした
確かに、悩みによって人間は成長しますが、あまりに重い悩みは人間をいじけさせ、卑屈にし、恨みがましくさせる。これも二―チェですが、「ルサンチマン(長い怨念)」という形に結晶し、人の心を硬くしていくのです。私自身がまさにこういうマイナスの結晶のような人間であって、それは生きていくうえである程度仕方なかったとはいえ、自己嫌悪が消えることはありません。
こういう人間から見ると、かつては「悩みのない人」を激しく嫉妬し、その揚げ句、先に書いたように、「人間としてまともではない」とか「人間として単純、鈍感、低級」と考えていたのですが、歳を取るにつれて、真に「悩みのない人」がとてもすがすがしく見えてくるようになりました。そして、自分自身も、もう社会的に何も期待されておらず、あとは死ぬだけなのだ、と自覚すると、若い頃に比べると俄然、悩みが少なくなった感じです。
さて、ようやくこのあたりでふたたびご相談に戻りますと、いろいろしゃべり散らしましたが、あなたはそもそも上に羅列したようなひん曲がった人間ではないのかもしれない。もっと素朴に「自分の前後左右悩んでいる人ばかりですが、悩んでいない自分っておかしいですか?」と聞いているだけなのかもしれない。あなたがこういう素朴な問いかけをしているだけなら、かなりの好感が持てます。そして、ゆったりと「全然、おかしくないよ」と肩をポンとたたいてやりたい気持ちです。
しかし、私の長い人生経験からすると、あなたはこうしたたぐいのすがすがしい人ではないようですね。どこか、違います。それは、「悩まないことに対して人生相談をする」ほど、悩まないことを気にしているからです。それはやはり普通ではない。あなたに提案したいこと、それは、「悩まない自分」を、いかなる価値判断も加えずに、ごまかすことなく、決めつけるのではなく、研究し尽くすことです。それと同時に、あなたは「病気などの悩みは切り捨てますが」と言って初めから最も重要なことを切り捨てていますが、それこそが問題なのではないでしょうか?
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