ぐっちーさん「お涙頂戴復興」はもうやめよう 本当に復興するとはどういうことだろうか

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大震災後、宮城県・女川町のように被災地には賑わいを取り戻したところもある(写真:MediaFOTO / PIXTA)

再びこの日がやってきました・・・・・・。

例によってテレビを筆頭に、メディアは追悼番組ばかりです。このように言うと叱られるかもしれませんが、全てとまでは言わないものの「お涙頂戴」の連発です。東日本大震災から8年経ったわけですから、ちょっとは違う発想になれないものでしょうか。

ズレる「震災後報道」は「復興の邪魔」

この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら

日本で、およそ万人に体験として記憶に残るものとしては(私は生まれていませんが)終戦日の1945年8月15日、神戸・淡路大震災、そして東北を中心とした東日本大震災くらいのものではないでしょうか。

その意味で、今生きている方はこのうち2つも経験されていることになります。お涙頂戴、つまり「いかに不幸か」、という番組ばかりがメディアに流される一方で、例えば現地ではすでにこんな声が出てきています。ハフポストの記事です。この記事に出てくる方は被災した宮城県・女川町を本拠に蒲鉾の製造販売をしている、高政の高橋正樹社長です。

まさに高政さんのツイッターも紹介されていますが、とにかく報道の人たちは本当に事故がどうだったかではなく、お涙頂戴によく合うような事例を探していて、それに合うインタビューを取って帰るので、お断りだ、と言っているわけです。ふつうこれだけ言われればさすがに方針を変更しそうなものですが、どうやらそうでもないんですね。

高橋社長は、高政のツイッターでこんなことをおっしゃっています。

「甚大な被害を受けた女川町は、それでも明るく楽しい街を目指し、一日も早く被災地と呼ばれないために復興を進めた。 起業する人や、若い世代を中心に遊びに来る人も増えつつある。 「忘れない」 悲しい物語が溢れた。 明るい空気が人を呼ぶのに、悲しい場所に引き戻され、復興の邪魔だとさえ感じた」(3月13日のツイートより)。

せっかく前に進んで、新しい女川町を作ろうとしているときに、なぜ、時計の針を戻して悲しい女川町を8年もたって放送するのか、神経がわからんということです。

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