「あたしンち」の表紙を作った男の堅実な仕事観 見ただけで欲しくなる作品はこうして生まれる

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よく言われるように、アニメ業界の仕事は非常に賃金が安かった。

「頑張って月5万~6万円でした。もちろん、それだけでは食えないです。制作会社がレンタルビデオ店も経営していたんですが、『そこでアルバイトしないか?』って誘われました。他のアニメーターさんに比べてコミュニケーション能力が高いと思われてたみたいで、仕事を回されたんだと思います」

ビデオレンタル店では、暇なときには映画やアニメのビデオを見ることができた。まずまず楽しい日々だったが、

「でもこのまま、この仕事を続けていいの?」

という気持ちになってきた。

「そのスタジオには原画マンはいなかったんですよ。つまりうまい人の仕事を見ることができないんです。上を目指せない環境で、目の前の仕事をこなし続けても意味ないかな……と思ってやめることにしました」

世はフリーターがはやりはじめた頃だった。アルバイト情報誌も多く、大型電気量販店で働いたりもした。

「ただ、まだ絵で仕事をしたいという気持ちは強くありました。なにかいい仕事ないかな?と探していると、イラストレーターのアシスタントのアルバイト募集を見つけました。描きためたスケッチブックを持って面接に行ったら『いいじゃない』って言われて、その日のうちに採用されました」

デザイン事務所に所属する、イラストレーターのお手伝いをする仕事だった。会社では銀行や区のパンフレットの挿し絵などさまざまなイラストを描いていた。

関さんはアシスタントだったが、実際にイラストも描いた。

「師匠に『こういう絵、描ける?』って聞かれて、絵柄を合わせて描きました。もともとアニメーターをしていたので、人のタッチに合わせるのは得意なんです。それが役に立ちましたね」

現ボラーレ社長に誘われ新会社へ

その会社にいた現ボラーレの社長が、会社を離れるときに

「新たにイラストとデザイン会社を立ち上げるから、一緒に来ない?」

と声をかけてもらった。関さんは渡りに船で新しい会社に移ることにした。

「新しい会社に入って、違うイラストレーターさんのアシスタントになりました。身の回りのこともする師弟関係のような感じでしたね」

例えばライブペインティングのイベントがあるときは、関さんが自動車の運転をし、一緒に宿泊してイベントの下準備もした。

そのイラストレーターはアートディレクターも兼ねていた。社内にはデザイナーもいて、アートディレクターの指示を受けて表紙などのデザインをしていた。

そのデザイナーが突然、会社をやめることになった。

「急にデザインの枠が空いてしまったんです。そこで『ちょっとお前デザインやれないか?』って仕事を振られました。

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