「あたしンち」の表紙を作った男の堅実な仕事観 見ただけで欲しくなる作品はこうして生まれる

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僕はデザイナーには全然興味がなかったんですよ。横でデザインしている姿を見てて、細かいし、作業もたくさんあるし、大変だな~と思ってました」

無茶振りだったが、それでも仕事に穴を開けるわけにはいかない。

「少し仕事を手伝ったこともあったので、それを思い出しながら見よう見まねでなんとかこなしましたね」

しばらくすると、イラストレーターのアシスタントが新規で雇われることになった。

関さんはイラストレーターの仕事に未練もあったが、デザインの仕事の比重が増えていった。そして、デザイナーの仕事だけが回ってくるようになってしまった。

ちなみにそのとき、新規で入ってきたアシスタントは、現在もボラーレでともに作業をしている星野ゆきおさんだ。関さんと星野さん、2人で作成した表紙も多い。

1992年には、イラストとデザインを分けることになった。会社ではイラストの業務を受けることはなくなり、デザイン専門の会社になった。会社の名前はそのとき「ボラーレ」と付けられた。

独学で勉強しながら、実際の紙面で色の実験をした

社長が経理をし、関さんと星野さんがデザインをする。メインは3人で、それに加えアシスタントが入れ替わりで入った。

デザインの教育を受けずに、いきなり現場で仕事を始めたので、いまだにやり方が正しいのかどうか、わからないまま作業しています(筆者撮影)

「デザイナーになったのは23~24歳でした。いきなり『漫画アクション』(双葉社)の表紙のデザインを担当させてもらいました。若いときに大きい仕事ができたのはラッキーだったと思います。

僕はデザインの教育を受けずに、いきなり現場で仕事を始めました。後から独学で勉強はしましたけど、それでも知らないことはいっぱいありました。いまだに今やってるデザインのやり方が正しいのかどうか、わからないまま作業してます(笑)」

今でこそ情報はインターネットで簡単に手に入れることができるが、当時はなかなか手に入らなかった。実際に紙面を使い実験をしてデータを得ることもあった。

「雑誌の表4のタイトルのスペース(裏表紙の左はじの雑誌名や月号が書いてあるスペース)で色の実験をやっていましたね。例えば『蛍光ピンクをまぜたらどんな発色になるんだろう?』って思ったら、その色を表4のスペースで使うことにして、印刷屋さんに指定しました。それで失敗したら色校正で直し、上手くいったらそのまま出版しました。成功したやり方は、単行本の仕事に還元することもありました」

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