職場で「常に論破される人」に欠けた議論のコツ 大事な商談や説得にこそ「正義」を掲げよう

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ここはサクッと「私利私欲でやってるわけじゃない」「なにか大事なもののためにやってるんだ」というスタンスをイメージしておけば十分です。

正義は暗殺すら可能にする

正義を掲げることに、次の2つのメリットがあります。

(1) 聞き手が支持しやすい
(2) 失敗に終わっても評判が下がりにくい

まずは(1)について。先ほども書きましたが、正義を打ち出した意見は、内容に関係なく聞き手を賛成に傾けます。

多少意地の悪い言い方にはなりますが、「弱者のためになる」「子どもたちのためになる」「よりよい未来のためになる」「平和のためになる」「社会のためになる」など、こうした正義の意見に対しては聞き手側も、自分がよい人間になったかのように、安心して説得されるのです。

身近な例で考えると、商品の宣伝なども消費者に対する「買ってください」という説得ですが、この際「この商品を買うと、売り上げから△△に○○円の寄付がされます」という売り方がされているのはよく目にするでしょう。

これなどは代表的な正義を打ち出す説得ですし、思わずそれに説得されて買った経験がある方も多いのではないでしょうか(もちろん、それが悪いというわけではありません)。

ぶっちゃけて言えば、他企業へのプレゼンでも、社内の会議でも、あるいは友達とのちょっとした話し合いでもそうですが、「会社のため」「みんなのため」「社会のため」といった正義の衣で自分の言い分をくるめば、成功する確率は飛躍的に高くなります。仮に、本当は私利私欲や個人の都合による意見であっても、その部分を見せてはいけません。聞き手は、話し手の意見に賛同するにも、賛同するだけの大義名分を欲するものなのです。

歴史を振り返ってみても、大計画・大陰謀をたくらむ人物が協力者や支持者を得るために利用してきたのが、この正義でした。例えば、古代ローマ最大の事件のひとつとして、カッシウスらによる時の権力者カエサルの暗殺があります(「ブルートゥス、お前もか」っていうアレですね)。

実のところ、首謀者カッシウスがカエサルを憎んだのはまったく個人的な理由で、ある催しのために苦労して入手した多数のライオンをカエサルに没収されたことが原因だとも言われています。つまり、まったく個人的な好き嫌いでカエサルを暗殺しようとしていたのですが、それにもかかわらず、彼はブルートゥスという人物に共犯を持ちかける際、次のような論法を用いました。

暴君を倒せ。カエサルは王位をうかがい、外国の娼婦クレオパトラを女王に、私生児カエサリオンを太子に立てようとしているのだ。……カエサル自身とその名誉のためにも、彼がローマの尊厳と自由を一挙に破壊する暴挙に出る前に、いっそ亡き者にしたほうがよくはなかろうか。(I・モンタネッリ『ローマの歴史』より)

つまり、「私の計画するカエサル暗殺は、決して個人的な恨みなどではなく、ローマのための正義と道徳の行為なのだ」というわけです。結果、カッシウスの語る正義にほだされたブルートゥスは、カエサル暗殺に協力することになります。

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