栗山監督が「こっちの責任」といつも言う理由 責任は「取る」ものではなく「果たす」ものだ
監督1年目、外野守備走塁コーチとしてチームを支えてくれた清水雅治コーチの言葉が忘れられない。
「コーチは自分がやりたいことをやるんじゃない。監督がやりたいことを実現させるのがコーチの仕事だ」
直接ではなかったが、それを伝え聞いたときには、身の引き締まる思いがした。それ以降も、たくさんのコーチのお世話になってきたが、感謝とともに、その仕事についていろいろなことを考えさせられてきた。
コーチの仕事に対して出来上がりつつある1つのイメージは「技術屋さん」。技術のプロフェッショナルであるコーチには、選手と一緒により高い技術を求め、一緒に探していってほしい。どうして打てないんだろう? もっといいアプローチがあるんじゃないか? こうしたらいいんじゃないか? ああしたらいいんじゃないか?
そうやって、できるだけたくさんの選択肢を提示してもらって、あとは選手に選んでもらう、それが理想だ。
もちろん監督もその手伝いはするし、コーチと技術的なことを話したりもするが、こっちにできるのは、メンタル面のケアだったり、それを引き出すための起用だったりする。
そこは明確に分けて、役割分担をしているつもりだ。
コーチは選手に教えるべきか否か
さて、そこで、もっと根本的な考え方として、コーチは選手に「教える」べきか否か、という点だ。
広岡達朗さんは、「教えるべきだ」と言う。落合博満さんは、「教えるのではなく、一緒に見つけることだ」と言っている。これは、どちらの考え方にも賛同できる。
広岡さんは、球史に残る名ショートだ。守りは、確かに教わるとうまくなる。本当にうまい人に教わりながら、徹底的に数をこなしていくと成果が表れるケースが多い。考えてみると、9割8分は成功するのが守備。ということは、論理的に正しい形があると考えたほうが筋は通りやすい。
一方、打つほうは、教わるとかえって打てなくなることがある。打ち方が理にかなったものに近づいたことで、無駄な間がなくなって、タイミングがずれたりする。だから落合さんは、「正しいことを教えるんじゃなくて、一緒に見つけることだ」と言っている。さすがだな、と思う。
確率で言えば、守備と違って4割打てるバッターはまずいない。ほぼ確実に6割以上は失敗するということだ。ということは、絶対的に正しい論理など存在しないのではないか、そう考えたくなってしまう。
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