大谷翔平・元コーチが説く「教えない」理由 吉井理人「コーチだけにはなりたくなかった」
プロ野球選手は、わがままだ。現役時代の僕もそうだった。それぐらいの気概がないと、プロフェッショナルという厳しい世界を生き抜いていけない。
だから、プロ野球選手はコーチに頭ごなしに教えられたり、結果だけを見て指導されるのを極度に嫌う。選手にとって嫌なコーチは、事前に何も指導していないのに、マイナスの結果だけを見てあれこれ言ってくるタイプだ。自分の経験談ばかりを延々と話すコーチも煙たがられる。失敗談はまだしも、成功した自慢話を聞かされるのはつらい。
コーチには絶対になりたくなかった
僕もそういうタイプのコーチが大嫌いだった。コーチは、レベルの低い人間がやるものだと思っていた。引退しても、コーチだけには絶対なりたくないと思っていた。
2007年、僕は42歳で現役を引退した。そのころ僕の代理人をしてくれていた団野村さんのもとに、日本ハムファイターズから投手コーチ就任の依頼が舞い込んだ。僕としては、まだ選手としてプレーできると思っていた。現役続行と引退。かなり迷った。だが、団野村さんに強く諭された。
「現役にこだわりすぎて、仕事がなくなる人を嫌というほど見てきた。仕事があるうちにゲットしておくべきだ。ヨシ、今が『辞めどき』なんじゃないか」
僕は、投手コーチを引き受けることにした。絶対になりたくないと思っていたコーチになった。コーチを引き受けてから、改めてどのような指導をするべきか考えた。自分の現役時代を振り返り、指導を受けたコーチがどのようなことを言っていたか思い出した。案の定、嫌なことしか思い浮かばなかった。それも当然だ。高校を卒業してプロ野球選手になってから引退するまで「どうすれば自分のピッチングが良くなるか」しか考えてこなかった。
自分のことしか考えてこなかった人間が、何の準備もなく教える側に立っても、自分の経験を伝えることしかできない。選手が嫌がる指導は絶対にしたくない。僕の選択肢はたった1つしかなくなった。選手を見ること。それだけを徹底することに決めた。偉そうに言ったが、コーチとして何をしていいかわからず、選手を見ているしかできなかったのが実情だ。かろうじて、選手からの質問に自分の経験を踏まえて答えることしかできなかった。
プロ野球界におけるコーチと選手の関係は、これまで「師弟関係」が主流だった。しかし、そうした指導はコーチのミニチュアを再生産するにすぎない。選手が持っていたせっかくの個性が消され、本来持っていたはずの本当の力は出てこない。
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