出産の真実を知った人が直面する根深い悩み

不妊治療という決断が新たな社会問題を招く

不妊治療によって、新たな社会問題が生まれている(写真:polkadot/PIXTA)  
無精子症によって不妊に悩む夫婦が、匿名の第三者から提供された精子を使い、人工授精によって子どもを持つ医療がある。「非配偶者間人工授精(AID)」と呼ばれ、不妊治療のひとつの方法として確立されている。だが、子どもを願う人のために編み出された医療技術が今、社会に新たな課題を突きつけている。生殖医療の社会的な影響を研究する柘植あづみ明治学院大学教授が解説する。

昨年末、日本の不妊治療の方針転換とそれをめぐる波乱が報じられた。

慶應義塾大学病院の産婦人科が、「非配偶者間人工授精(AID)」の新規患者の予約受け付けを停止したのである。AIDとは、無精子症が原因で子どもができない場合に、第三者から精子を提供してもらって、妻の子宮内に注入する医療技術である。日本では1948年に慶応病院で行われはじめ、翌年に初めての子どもが生まれている。

精子ドナー不足の背景にある社会変化

70年も続いたAIDの継続が困難になったのは、この技術をめぐる社会変化が背景にある。

日本を含め生殖医療を提供する国では、医師がAIDを実施する際、この技術で子どもをもつ患者に対し、精子提供者(ドナーと呼ばれる)は匿名とし、AIDによって子どもを得た秘密を守るように求めてきた。法的・社会的な父子関係を安定させるには、それが最良だと考えられていた。

ところが、この技術によって生まれたことを知った人が、事実を知りたい、ドナーについて知りたい、と求めるようになった。これは生まれた人の「出自を知る権利」と呼ばれる。すでにいくつかの国では、精子提供や卵子提供によって生まれた人が、一定の年齢に達して希望すれば、ドナーの情報を入手できる法律を整えている。

日本にはこのような生殖補助医療に関する法律はないが、慶応病院は、精子を提供しようとする人に「将来、生まれた子どもからの求めに応じて提供者の個人情報を提供する場合がありうる」と説明するようにした。そのためにドナーが集まらなくなったという。

政府は生殖補助医療について何もしてこなかったわけではない。

旧・厚生省は1990年代に、精子ドナーをネットで斡旋する業者の登場、姉妹や友人が卵子ドナーとなった体外受精による出産、AIDによって生まれた子と父の関係をめぐる訴訟が相次いだことから、法律の制定を検討した。

その後、厚生科学審議会の生殖補助医療部会が2003年に報告書を出し、代理出産は禁止、精子・卵子・胚の第三者からの提供は認める、さらに生まれた人が15歳に達して希望すればドナーを特定できる情報を開示する、という規制の枠組みを示した。これを基に法案が作られる予定だったが、頓挫した。その結果、日本は医療技術先進国としては珍しく、生殖補助医療に関する法律がない国のままである。

慶応病院はホームページで、「一施設の努力のみでは本治療の存続自体が困難になっている状況です」と説明している。ここには、国が制度整備をしないことへの批判が込められているように思う。

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