出産の真実を知った人が直面する根深い悩み 不妊治療という決断が新たな社会問題を招く

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女性は5歳のとき、両親から「パパには種がなくて子どもをつくれなかった。だから病院に行って、私を産むために種をもらった」と説明を受けた。事実を伝えられたのは良かったが、「種」から生まれたという説明から、自分が物質から生じたような気持ちになったという。そこで、ドナーが生身の人間であることを確認したかったと付け加えた。

メルボルンの女性も、AIDという技術によって生まれたことから、自分は「人工的」につくられたという違和感を抱いていたと話していた。筆者はこの話を聞いたとき、AIDで生まれた人たちがドナー探しをする理由に、やっと納得できた。

秘密を前提にした「普通の家族」を擬製してきた

厚生科学審議会の生殖補助医療部会の議論が行われていたときに、日本でもAIDで生まれたことを知った人たちがカミングアウトした。彼らは、AIDのことを隠しつづけてきた両親への不信と怒り、なぜAIDを選択したのかという疑問、そしてドナーについて知りたいという切望を、ネットやマスメディアを通して発信しはじめた(参考:AIDで生まれるということ 精子提供で生まれた子どもたちの声)。

その声は生殖補助医療部会の委員にも届けられ、先述した2003年の報告書には、精子提供や卵子提供で生まれた人たちの「出自を知る権利」が盛り込まれた。ところが、すでに述べたように、この報告を基にして法律案を作成するはずだったが、現在も法律はできていない。

その後、十数年を経て技術はさらに進んだ。親子関係に疑問を抱いた人が、両親と子どもの遺伝子検査を依頼すれば100アメリカドル程度で遺伝的な関係を調べることができる。

今では、自分の遺伝子検査データをアップして、ドナーや同じドナーによって生まれた子ども(half-siblings=半分きょうだい)を探す国際的なサイトもある。生まれた人たちがドナー探しをしているのを支援するために、自分の遺伝子データを登録する元ドナーもいる。それによって、実際にドナーや「半分きょうだい」が見つかっている。

生殖医療に関わる技術を提供し続けるのなら、やはり、国が合法的で安全な医療技術、登録システムの永続的な運営と管理、カウンセリングの提供などを実行できるようにすべきだろう。

しかし、日本ではまだ、子どもを望む人のために編み出された医療技術が、生まれた人(の一部)を苦しめる現実が直視されていない。医療施設だけではなく、国も社会も、不妊の問題を個人に押し付けてきた。そして、悩んだ個人・夫婦は秘密を前提にした「普通の家族」を擬製してきた。

生まれた人たちの声は、医療が、両親が、「普通の家族」を擬製することの欺瞞を暴いた。それを認めたうえで、改めて「新しい家族」を受容するシステムと社会を考える必要があるのではないか。容易なことではないが、もう秘密を前提にした「普通の家族」には戻れない。

柘植 あづみ 明治学院大学教授

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つげ あづみ / Azumi Tsuge

明治学院大学社会学部教授。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程満期退学。お茶の水女子大学より博士(学術)授与。2018年4月より明治学院大学社会学部部長。専攻は医療人類学、生命倫理学。著書に『生殖技術-不妊治療と再生医療は社会に何をもたらすか』(みすず書房)、『妊娠を考える--<からだ>をめぐるポリティクス』(NTT出版)、編著に西山千恵子・柘植あづみ『文科省/高校 「妊活」教材の嘘』(論創社)など。

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