「勤勉な国」日本で組織的不正が起こる根因 「アイヒマン実験」が教えてくれる教訓

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ということで、最後に彼女は

日本人特有の問題は、彼らは、ある掟を守って行動しているとき、他人は必ずその自分の行動の微妙なニュアンスをわかってくれる、という安心感を頼りに生活するように育てられてきた、ということである。(引用はすべて『菊と刀』講談社学術文庫 より)

とまとめています。この指摘について、何度も転職を繰り返してきた自分がいつも感じていることを重ね合わせると、1つの道筋が見えてくるように思うのです。

いくつかの会社を渡り歩いてきた僕がいつも感じていることは「ある会社の常識は、ほかの会社の非常識」だということです。電通に勤めている人は電通でまかり通っている常識を「世間の常識」だと勘違いしているし、ボストンコンサルティンググループ(BCG)に勤めている人はBCGでまかり通っている常識をやはり「世間の常識」だと勘違いしています。

つまり常識というのは非常に文脈依存性がある、現代アートの用語で言えば「サイトスペシフィック」だということです。何度か転職をすれば、自分が所属していた会社=世間での常識が、そこでしか通用しない常識だったのだという認識を持つことができるのですが、同じ会社にずっといるとそういう相対化は難しい。つまり、会社という「狭い世間」の常識が、社会という「広い世間」の常識と異なるということに気づけないわけです。

「狭い世間の掟」を相対化する2つの解決策

ここに「世間の多層性」という問題が出てきます。ある会社の常識、ベネディクトの指摘をつかえば「掟」がサイトスペシフィックであるということは、そこに無批判的に従うということが「広い世間の掟」に反することにもなりかねない。しかし、彼らあるいは彼女らは「狭い世間の掟」には従わざるをえません。なぜなら「恥」は「罪」と違って救済されないからです。「恥」はそのまま「狭い世間」=会社からの心理的・物理的な追放を意味します。それは窓際に送られることであり、あるいは早期退職を勧奨されることです。

救済されない「恥」への恐れから、「狭い世間の掟」に従わざるをえないために発生しているのがコンプライアンス違反だと考えれば、この問題を解決するための本質的な方策が浮かび上がるように思います。

世の中は「狭い世間の掟」に従って「広い世間の掟」を破った人を市中引き回しのうえ打ち首にすることによって、「広い世間の掟」を守らせようとしていますが、個人個人にとっての利得はあくまで「狭い世間の掟」へ従うか従わないかで決まっているのですから、これは筋が悪いアプローチと言わざるをえません。社会全体がよって立つような道徳律を持っていない国ですから、どうしても行動を規定する軸足は「狭い世間の掟」にならざるをえない。

ではそういう社会において、どうやって「狭い世間の掟」を相対化し、その掟がおかしいと見抜く判断能力を身につけるか。答えは2つしかないと思います。

1つは、結局は労働力の流動性を上げろ、という結論になるのではないかと思います。自分が所属している「狭い世間の掟」を見抜けるだけの異文化体験を持つ、ということです。

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