上意下達が大嫌いな日本人こそ「民主的」だ トップダウンを強制しても成功できない理由
施:1980年代には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われ、一時的に日本的価値観や日本型経営に焦点が当たっていました。しかし長いスパンで見れば戦後ずっと、さらには明治維新以降の近代を通じて、社会の指導層は日本的価値観を抑圧し、意識下に封じ込めようとしてきたわけです。
今も本来の日本人の価値観とは異なる、日本人の多くがアメリカ的と思っているような個人主義的な生き方を、目指すべき理想として称賛している。拙著で詳述していますが、その結果、意識レベルの目標と無意識のレベルの価値観にずれが生じ、ダブルバインド(自己矛盾)に陥っている。その矛盾がこの20年間、特に激しくなっているという気がします。
日本人の無意識に潜む破壊願望
中野:僕も無意識は無視できないと思いますが、実は日本人の無意識の中にこそ、変身願望、破壊願望のようなものが強く存在しているのではないかとも感じています。
たとえば『ドラゴンボール』の主人公は強くなるとに髪が金色に、目が青く変身しましたよね。あれは無意識の願望の表出なのではないか。日本人の無意識の中に強い変身願望があるからこそ、構造改革にしても成果がないままに延々と続いているのではないか。
日本で明治維新以来100年以上も西洋化を目指す改革が続いているのも、旧来の日本に対する破壊願望があったからなのかもしれない。無意識的な破壊願望が不毛な構造改革の原動力となっているのだとしたら、そこを意識化してあぶり出し、コントロールしていく必要があるでしょう。
施:私も変身願望についてはよく考えます。おそらくそれは日本独特の自己批判文化とつながっているのだと思います。日本人には自分の深層にあるものを遅れている、劣っているとみなし、他者の目から自分を見て、その期待に応える形で自己変革しようとする傾向がある。修行的な自己啓発です。
身の丈に合わない改革がいつまでも続くのも、それが日本人の自己批判志向と合致している面があるからでしょう。実際、新自由主義改革にも修行的な要素があると感じます。たとえば東京都が作った高校生の海外留学制度は、名前が「次世代リーダー育成道場」というんです。グローバル化や英語の勉強も「修行」と捉えている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら