平成は「自己否定と変身願望」の30年間だった 自家撞着の改革をやめて「土着の知」に戻れ

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痛みなんて、なしで済ませられるものならないほうがいいに決まっているのに、小泉総理が唱えた「痛みを伴う改革」に「本物」を感じていたメンタリティが日本人にはある(写真:Kimimasa Mayama/REUTERS)
日本人は平成30年間の終わりなき「改革」に疲れ切ってしまったのではないか。昭和と平成の違いは、「風土の喪失」が進んだことにあるのではないか。
中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家)、柴山桂太(京都大学大学院准教授)、施光恒(九州大学大学院准教授)の気鋭の論客4人が、平成30年間の日本人の意識レベルから政治のとらえ方までを徹底検証する。

なぜ「プロジェクトX」は泣けるのか

施光恒(以下、施):国内外で社会心理学的調査を行って比較すると、意識のレベルでは欧米人よりも日本人のほうが個人主義的な傾向が強く出るんです。たとえば「自己犠牲をどのくらい重視するか」「個人は集団のためにどれぐらい貢献すべきか」と直接的に尋ねると、アメリカやカナダと比べても、日本人は個人主義が強い。

ただそうした調査を行った社会心理学者がしばしば指摘するのは、頭でよく考えて理知的に判断する意識のレベルと、動機づけや感覚といった半ば無意識のレベルのものから読み取れる傾向性は別だということです。半ば無意識のレベルでは、日本人は社会的関係の中で生きているという実感があるほうが元気が出るようなんですね。

たとえば、個人競技のマラソンよりも仲間と一緒に競技する駅伝のほうが力が出るということです。卑近な例として私がよく使うのが、以前人気番組として有名だったNHKの「プロジェクトX」という番組です。

柴山桂太(以下、柴山):あれは親父たちが泣く番組として有名でしたね。それだけ感情移入できるんですね。

:そうなんですよ。「プロジェクトX」は泣けるんです。現代の若者でもやっぱり箱根駅伝などの中継はよく見るようですし、「プロジェクトX」のDVDを見せても感動する。

それに比べると後番組の「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、感心はするけれども、泣けない。それはおそらく「プロジェクトX」では組織に焦点が当たっていたのに対し、「プロフェッショナル」では優れた個人に焦点を当てているからでしょう。半ば無意識のレベルでは日本人はそういう、「おまえが組織の大黒柱だ」とか「意気に感じて頑張ろう」みたいな関係性が相変わらず大好きなんです。

一方、明示的な意識のレベルでは近年、そういう関係に対して、「昭和の遺物だ。集団主義だ。遅れていて、捨て去るべきものである」という考えが強い。

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