平成は「自己否定と変身願望」の30年間だった 自家撞着の改革をやめて「土着の知」に戻れ

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佐藤:近年の与党はまるで、かつての野党のように振る舞っています。昔の自民党の総裁たちには、「何だかんだ言っても、左翼や反対派の連中まで含めて、国全体をまとめ上げなければならない。それが政権を担う者の義務だ」という意識がありました。

漫画家の長谷川町子さんの自伝『サザエさん うちあけ話』には、関連して傑作な箇所があります。長谷川さん、犬や猫が捨てられているのを見ると、どうしても拾いたくなるのだそうで、そのため家で動物が悪さをするたび、家族から文句を言われる。しかるにこれを、「国会における与党のごとく、あらゆる糾弾を一身に浴びせかけられています」と形容しているんですよ(表記を一部変更、以下同じ)。

「まったく、たまったもんじゃありません」とは長谷川さんの弁ですが、裏を返せば、当時の与党政治家は糾弾に耐えたわけです。まさに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。ところが今は「糾弾するヤツは敵対勢力だから、徹底排除してかまわない」という発想になっている。

これはもともと、政権を取る見込み、ないしおそれがなかった55年体制下の野党の振る舞いです。「国家権力は敵であり、けしからんものなのだから、とにかく打倒の対象だ」という理屈。それが国家権力を担う側にまで蔓延するに至った。2回も政権を失うと、振る舞いが野党レベルに落ちるんでしょうか。

政治における土着性の喪失

佐藤:一方、田中角栄は土着の人でもありました。「自分だけが金持ちになっても、近所隣が貧乏では、結局、やっていけない。(みんなにも)裕福になってもらうことだ」と発言しています。宮沢賢治ではありませんが、「地域全体の幸福なくして、個人の幸福はありえない」。これも今の政治家には、なかなか見られない感性です。

:とりわけ最近は地方の声が取り上げられなくなってきている感じがあります。

佐藤:平成は地方が疲弊していく時代でもありました。竹下登内閣が「ふるさと創生」と銘打って、全国の市町村に一律1億円を配ると決めたのが昭和の終わり(1988年)。その後の地方の歴史は、全体として見るかぎり、衰退と没落の歴史だと言って過言ではないでしょう。

:2017年の希望の党の結成でも、私などは現役の都知事が国政政党の代表を兼ねるということに対して、「そんな党ができたら、東京はじめ大都会の利益ばかり国政の場で主張することになるだろう。それでいいのか」と感じたのですが、メディアから明確な疑問の声は上がってきませんでした。

柴山:それだけ日本で大都市化が進んでいるということでしょう。今、日本の全人口の6割から7割が三大都市圏に居住しており、東京圏だけで日本全体の3分の1あるわけです。政治家もメディア関係者も都会出身者ばかりですから。

平成30年間に都市化がさらに進行したことで、地方の存在感の低下が決定的になった印象があります。今度、安倍政権が大学の無償化を実行すれば、学生がますます東京に集まって、地方はさらに空洞化するんじゃないかと思いますね。

:むしろそのためにやっているんだと感じますね、大学無償化というのは。土着性のある政策は、最近はまったく出てこない。地方創生策にしても新自由主義的な政策ばかりです。

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