平成は「自己否定と変身願望」の30年間だった 自家撞着の改革をやめて「土着の知」に戻れ

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佐藤:つまりは平成に入って、今までにない新しい動きが出てきたというより、近代の日本人に潜んでいた自己否定願望が、バブル崩壊以後の経済的挫折をきっかけとして噴出したのだと見ています。

:ただそういう意識の表面だけの改革にも、そろそろ疲れが見えている気がします。2017年にアメリカの調査会社が「世界のビジネスマンのエンゲージメント(仕事への熱意度)調査」を行ったら、日本は「熱意あふれる社員」の割合が6%しかいなくて、世界最下位クラスだったそうです。

柴山 桂太(しばやま けいた)/京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。専門は経済思想。1974年、東京都生まれ。主な著書にグローバル化の終焉を予見した『静かなる大恐慌』(集英社新書)、エマニュエル・トッドらとの共著『グローバリズムが世界を滅ぼす』(文春新書)など多数(撮影:佐藤 雄治)

それを聞いて驚きましたね。だって1990年代初めには、栄養剤の「リゲイン」のCMで「24時間戦えますか」なんて言っていたわけですよ。リゲインを作っている第一三共ヘルスケアのホームページに、CMのキャッチコピーの変遷が載っているんですが、最初は「24時間戦えますか」だったものが、時代を追うに従って元気がなくなってきて、2014年のコピーでは、「3、4時間戦えますか」になっているんですね(笑)。

バブルの頃から現在までの過程を振り返ると、日本では人々が暗黙の慣習に従って、その場の状況に対して無意識的に、あまり考えずに対応していたときのほうが、実はうまくいっていた。「アメリカ的な、自律的個人からなる社会をつくろう」と意識的に変えていったら、かえって悪くなって、みんな疲れてしまったという面があると思います。

佐藤:日本に限らず、社会が円滑に機能するうえでは、人々が暗黙のうちに持っている知恵や約束事、あるいは慣行が重要な役割を果たします。これこそ文化や伝統の力の中核です。ところがそれを、非合理的であるとか、定式化・数量化できないとか、果ては欧米(特にアメリカ)で学んできた理論に合わないとかいった理由で、インテリがどんどん切り捨てていった。

文化的バックグラウンドとは関係なく、誰でもわかるようマニュアル化されたものこそが真理だ、うまくマニュアルにできないものはどうせロクでもないに決まっているから捨ててしまえ、そんな発想で改革を進めたのです。合理的・進歩的な行動だと思っていたのでしょうが、結果的に自分の基盤を突き崩すことになって、成果を上げるどころか、何が何やらわからなくなってしまった。

「あうんの呼吸」こそ本来の政治だ

中野:政治の世界でも、自民党の昔の政治などはそれこそ古いスタイルで、あうんの呼吸で、言葉で説明できない関係性の中で決めていくものだった。人間の目利きに長けた老獪な連中が政治をやっていて、その人たちは政治学の理論なんかもちろん知らない。それが古い自民党の政治だった。

いや、そもそも「政治」とは、理念や理論ではなく、あうんの呼吸でやるべきものなのですよ。それは日本に限った話ではなく、古今東西、そういうものだったのです。ところが改革を指向する人たちは、そういう本物の政治に対して、「ビジョンが見えない」「理念がない」「不透明だ」「日本でしか通用しない」と言って否定してきた。彼らは、政治そのものを否定してきたのです。

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